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「宇宙兄弟」のコトバ|言うだけだったら誰でもできる

2015.11.22 15:58

言わずと知れた大人気マンガ「宇宙兄弟」(©小山宙哉 / 講談社)の、先日出たばかりの最新刊27巻より。最新刊過ぎて、取り上げるべきか迷ったのだけれど、いいなぁと思う気持ちが止められず。多少のネタバレを含むのでご注意ください。


宇宙飛行士のせりかは、地球を周回するISSにて、難病ALSの新薬開発に向けて実験を繰り返す日々を送っていた。しかし地球では、そんなせりかに協力を断られたことを逆恨みする製薬会社の企みによって、特定の製薬会社との癒着という、根も葉もないウワサを立てられていた。

せりかを陥れようとする製薬会社は、火付け役として、人格や年齢に変化をつけながら架空のアカウントを使い、ネット上で誹謗・中傷を繰り広げていった。そしていつしかその必要がなくなるくらい、ネット上の世論はせりかバッシング一色に染まっていった。


その夜も人々は、せりかさんを傷つけるための重い言葉を
その鋭利さに気付きもせず、軽いタッチで打ち込んだ


月面での作業を行っていたムッタの元にも、そのニュースは届いていた。せりかは、候補生時代から苦楽を共にしてきた仲間であり、ムッタは仲間以上の感情を彼女に抱いていた。自分の父をALSで亡くしたことをきっかけに、その新薬の開発のために宇宙飛行士になることを目指したせりか。その人一倍頑張る姿を知っているからこそ、ムッタはせりかのことが心配で仕方なかった。


人の悪口を言ってはいけない、なんて幼稚園児でも知っている「知識」。それでも悪口というのが消えてなくならない理由のひとつは、きっと人は悪口を言う時、そうとは自覚していないからなんじゃないかと思う。

情報というのは常に断片的で、自分が知っている情報だけで何かを正しく判断する事はとても難しい。まして善悪というのは、視点によって大きく変わるもので、自分の元に入ってきている情報が、誰かの偏った視点で語られた可能性がある以上、常に「自分が知っている限りでは」という前提をつけて語らなければいけないものだ。

でも、何かを発言する際に、そのことを自覚していることは、たぶん滅多にない。いつのまにか無自覚に、自分の持っている情報量は判断するのに十分であると思い込み、顔の見えない受け手のことなど気にせず、鋭利なコトバを口にしたり、書きこんでしまっていることがほとんどじゃないかと思う。


自分の情報の限界にも、受け手を無視する事にも無自覚になってしまう。悪口かどうかにかかわらず、コトバを発する時には気を付けなければいけないことだと思う。当然、コトバを取り扱うこのサイトを持つ、ボクにとっても。


せりかさんのことを知らない人たちが、好き勝手にいろいろ言ってるけど、言うだけだったら誰でもできる。
だけど、せりかさんの代わりは、誰にもできない。


ムッタは、せりかにこんな励ましのメールを送った。新薬開発を自分の使命とし、多大な努力を払って宇宙にまで上り詰めたせりかの行動を知っているからだ。

行動する、ということは、矢面に立つ、ということだ。行動しなければ誰かに批判されることは少ない(行動しないことを批判されることもあるけれど)。でも行動しなければ、何も変えられない。誰かが変えてくれるのを待っているだけの人生になってしまう。だから、使命を自分に課す人は、必ず行動に移す。


言うだけだったら誰でもできる、とムッタは言うけれど、本当は「行動する」ことも誰にだってできることなんだと思う。せりかのようになれるかどうかは別だけれど、少なくともその「可能性」は誰にでもあったはず。行動したか、しなかったか。違いはシンプルにそれだけなのだけれど、「行動する」という誰にでも取れるはずの選択肢は、なにかと理由をつけた結果選択することができず、結果としてそこには大きな違いが生まれてしまう。

自分にとって「できない」ことは、たいていの場合「やらなかった」こと。何かをやらなかったことで、何かができなくなってしまった人に残された選択肢は、それでも今から始めるか、言うだけの人になるか、だけだ。


人の悪口というのは
仲間内で言う人は“凡人”
口に出さない人は“賢人”
不特定多数に向けて発信する人は“暇人”ですから


今回の騒動をJAXA理事長の茄子田はそう表した。

やりたいことがある人、ありたい自分であろうとする人、自分に使命を課す人は、コトバを選ばずに言えば、自分のことで手いっぱいの状態だ。何かを批判したり、悪口を発信したりする暇なんてない。先ほど「行動しなければ批判されない」と書いたけど、行動している人の多くにとって、行動していない人の批判をする暇はなく、その必要に迫られない限りはしないからだ。


別作品になるけれど、恩田陸さんの「上と外」にこんなフレーズがあった。


人生は無為に過ごすには長すぎるが、
何かを成し遂げるには短すぎる


成し遂げたい何かがあるのなら、「こうありたい」という自分がいるのなら、人の悪口を言う暇も見る暇もない。誰かの何かに批判的な感情を覚えたのなら、それは自分の糧として、自分はそうならないように気を付ければいいんだ。



なんてことを書いてみたのは、自戒のためであって、決して誰かを批判するつもりは毛頭ありません、と最後に不安になってフォローを入れてみる。とはいえボクも「言うだけの人」にならないように、「行動に移す」という行動をとっていかないと。





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