スーツケース(梅田千加)
修学旅行に行くからスーツケース貸して、と息子が言う。あの青いやつ。ええけど、めっちゃでかいであれ。でかすぎひん?俺、だって、スニーカー4足持って行くもん。はあ、と私は言う。毎日違うスニーカー履く気なん、アホちゃうか。
服装に合わせてスニーカーを選ぶ重要性を簡潔に語って、でかい図体が天袋に手を伸ばす。私が脚立にのって、えっちらおっちらしまった大きなスーツケースを、ちょっと背伸びしてガタガタ取り出す。
はいはい、もう好きにしなはれ。どうせ、何言うても聞かへんわ。
スマホのロックを外すと、小3の息子がバースデーケーキを前に満面の笑みを浮かべている。あー可愛かったなぁあの頃は。その時はそんな思わんかったけど、今見たら十二分に可愛いやん。
この写真のことは良く覚えてる。初めて携帯ゲーム機を買った誕生日だ。欲しがるのを随分長い間我慢させ、お母さん、ゲーム以外の遊びもたくさんして欲しいねん、などとしたり顔で語っていた私。何かに夢中になると、他の事を一切やりたくなくなる自分の性格から、息子がそうなるのを恐れていたのもある。やっと手に入れた息子は爆発的に喜んだ。しばらく夢中になっていたけど、ほどほどに遊んで、ほどほどに飽きた。安堵すると同時に少し胸がいたんだ。ゲームに夢中になる機会を私は奪ってしまったのでは?
で、どうだ。
いま息子はスマホを肌身離さず、夜は延々グループライン、20ギガのウルトラなんちゃらもなんのその、立派なネット依存の若者に成長した。
結局、私のやったことはなんの屁のつっぱりにもならんかったというわけか。あーアホらし、自分が。
昔は「ダメ」が通用した。今はもう、勝手にやる、自分で買う、一人で決める。高校生男子には母親の意見なんぞ、うんこ以下の存在だろう。もはや個別の事象について親の意見が求められる局面ではないのだ。これまでの積み重ねをもって、判断が下されるのを、横からそっと見てるしかないのだ。危なっかしさにヒヤヒヤしながら、祈るような気持ちで。
おかん、スーツケースの鍵は?中になかったらない…無くした。えーおかん、そう言うのは適当に置かへんやん絶対。絶対無くしてないわ。
謎の確信が不意に現れて動揺する。
あるとしたら、と思った引き出しから無事に鍵は出てきた。