すべての現象は心が生み出す
Facebook能村 聡さん投稿記事【すべての現象は心が生み出す〜ブッダの語った言葉から】
この世界のすべての現象の背後には「因果」の法則(原因と結果の法則)が作用しています。縁起とも言います。
ブッダ(お釈迦さん)が生きている間に語った言葉をまとめた初期仏典はとてもわかりやすいですね。宇宙創造主のような絶対的な存在のことは触れず、「宇宙の法則」を語ってます。
初期仏典の一つの『ダンマパタ』の中にも、すべてが人間の意識(心)が現実を創造していることが語られています。
なぜ、こんなに苦しいのか?多くの人は自我(エゴ)の思う通りにいかないことに苦悩します。
しかし、すべては自分の心次第なのです。現実は心が生み出しているのです。この苦しみから自由になるには、外の現象を変えるのではなく、自分の心を深く見つめて、それを変えることしかないと説いています。「ダンマパタ」の中のお釈迦様の生の言葉を紹介します。
「ものごとは心に導かれ、心に仕え、心によって作り出される。もし人が汚れた心で話し、行動するなら、その人には苦しみが付き従う。あなたかも車輪が、それを牽く牛の足に付き従うように」(1)
「ものごとは心に導かれ、心に仕え、心によって作り出される。もし人が清らかな心で話し、行動するなら、その人には楽が付き従う。あなたかも車輪が、あなたかも身体から身体から離れることのない影のように」(2)。
汚れた心とは「煩悩」とも言います。煩悩のいう心の中の闇(貪欲や傲慢、嫉妬など)に向き合い、それを悪であると断罪否定することなく、それへの「執着」を捨てた自由な境地に至ること、それが「悟り」です。
その意味では私も全く悟っていないですね。まだまだです。
Facebook近藤裕子さん投稿記事《 心外無法 満目青山 》
しんげむほうまんもくせいざん
これが美しい とか 汚いとか これが良いとか 悪いとか 楽しい とか 苦しい とか
同じ対象を見ても 見る側の 心 の有り方 が違えば 受け取り方は 様々です。
目の前に美しい山があっても見る人の心が曇っていては 本当の美しさを 感じることは出来ません。
〈心の外に 法は無い〉
目の前のものを 正しく見る事の出来る〈心の安定〉を求めて行くこと。
生涯の課題なのかもしれません。
Facebook相田 公弘さん投稿記事「常識を疑うことから始めよう」
コピーライター・ひすいこたろうさんのお話です。(^_-)
日本ではちょっとエッチな色ってピンクですよね。ピンク映画っていいますし。
でも、これ、国によって違うんです。
アメリカではエッチな色は青、ブルーになります。だから「ピンク映画」は「ブルーフィルム」。下ネタは「ブルージョーク」といいます。
スペイン語では緑がエッチなので、エロ本は「libro verde」(緑の本)となります。
中国は黄色がエッチ。だからアダルト映画は「黄色電影」です。
日本では、何かもらったら、「ありがとう」って言いますよね。
でも、中国では仲が良ければいいほど、「ありがとう」って言わないんです。
そんなこと言われたら、逆によそよそしい。
自分たちは仲いいはずじゃなかったのかなって思うそうです。
日本では人を励ます時に、「頑張って」って言いますよね。
でも、アメリカでは「頑張りすぎないでね!」(Don't work too hard! )となります。
まったく逆です。
日本の親は「人に迷惑をかけちゃダメ」と教えますが、インドでは、「あなたは人に迷惑をかけて生きているのだから、人のことも許してあげなさいね」と教ええるそう。
また、インドでの「イエス」のジェスチャーは、日本の「ノー」のように首を振って、「ノー」のジェスチャーは、日本の「イエス」のように首を頷けます。
もう、わけわからなくなります。
常識は国が変われば非常識になりえます。常識は時代が変わっても非常識になりえます。
あなたの頭の中の常識だって、根拠はあやしいものです。
しかし、頭の中の思い込みは、自分では「当たり前」になっていますから、普段は気づくこともない。だから、疑ったことなど、一度もないんです。
例えば、僕には弟がいますが、弟は学生の頃、サッカー部のキャプテンで、モテモテ、それが当時の僕にはすごく嫌だったんです。
友達がモテるのは気にならないのに、弟がモテるのはイヤなんです。
なんでイヤだったのか。「兄は弟に負けてはいけない」当時、完全にそう思い込んでいたからです。だから、バレンタインの日は、悔しくて悔しくて。弟チョコ8に対して僕は1。
8対1。しかも僕の1は、かあちゃんからのチョコですからね。
僕はこんなとるに足らない思い込みのせいで苦しんできたんです。
この思い込みがなければ、弟に「余ったチョコちょうだいね」って素直に言えたのに(笑)。では、なぜ、「弟に負けてはいけない」と思い込んだかというと、「勝たなければ、親に認めてもらえない」という、その先の思い込みがあったからです。
嫌な感情の背後には、必ず、あなたの常識(思い込み)が隠れていますので、探してみてください。どんな思い込みがあるから、このイヤな感情が生まれるんだろうって。
思い込みに気づけたら、
あとは、「それ、ほんとう?」って疑ってみればいい。
「弟に負けてはいけない」「それ、ほんと? 勝つとか負けるって誰が決めるの?
相手のいいところと、自分のダメなところを比較して、そもそも勝ちってあるの?」
「勝たなければ、親に認めてもらえないってほんと?」
「親に聞いてみた? え? 聞いてもいないのに勝手にそう思い込んでた?」
「失敗してはいけない」
「それ、ほんと? うまくいっている人ほど過去にたくさん失敗していたりするけど」
「みんなと仲良くしなくてはいけない」
「それ、ほんと? 嫌いな人が一人でもいたら、もう価値がないの?」
「弱い自分を見せてはいけない」
「それ、ほんと? むしろ、相手が本心を話してくれたときうれしかったりするけど」
たいてい、ほんとうじゃありません。
人は、ほんとうじゃないことで悩んでいるんです。
悩むのが趣味っていうならいいんです。
でも、そうではないなら、ほんとじゃないことで悩むのはやめよう。
嫌な感情がでてきたら、それは、自分の思い込みや価値観に気づくチャンスです。
気づいたら、「それはほんとう?」と疑ってみましょう。
ほんとうではない、もしくは、もう必要ではない価値観なら、「そう思うことで自分を守ろうとしてきたんだよね。でも、もう大丈夫。今までありがとう」と、感謝で手放せばいい。
「君を疲れさせているのは、目の前の登るべき山ではなく、とるに足らない厄介事だ」
モハメド・アリ
出典
ひすい最新刊「常識を疑うことから始めよう」