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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

フレデリック・ショパン、苦しみ抜いたイギリスの旅に別れを告げるショパン、哀れなサンドとソランジュに最後の慈悲を与えたショパンとは…

2022.03.31 11:36

フォークストンの鉄道19世紀画像からとショパンの肖像画から🎶イメージ🎶

ショパンはジェームズ邸宅で2週間半以上が経ちグシマーワにパリへ戻ると宣言した

翌日、今度はロゼール嬢にもパリに戻るから、アパルトマンの部屋を綺麗に掃除しておくようにと指示した、

「今週は体調がよくて、パリに戻れるかもしれない。

木曜、金曜、土曜のいずれかに特急便で帰ります。イギリスは

この時期の気候は、私にとっても絶対に無理です。

私の主治医は、あなたのキュリー医師ほどではありませんが、そのような意見を持っています。」ロゼールの知り合いの医師は、今すぐに動かないでロンドンでもう少し休んでいたほうがいいのでは、と助言していると、

ロゼールはショパンに書簡で言ってきたのだ。(現存せず)しかし、ショパンの主治医はロンドンの冬はショパンには厳し過ぎるため、パリに帰った方がいいとショパンを診断した。

「私は11月1日以来、ガウンを着て寝室に閉じこもっている。」ロゼールに書き始めたのは

19日だから、かれこれ、通算19日間ショパンは外に出たことがないのだ。

「しかし、私は一度だけ、ポーランドの同胞のために演奏するために外出した、ということです。万が一に備えて、9区を

見張っておいてください。

私はそのうち 顔を出すでしょう。よろしくお願いします。ショパン」

パリのアパルトマンが治安の悪い情勢だということだけでなく、ショパンは自分の部屋がまたサンドかモーリスらによって荒らされはしないか不安だった、自分が帰るまでしっかり部屋を守るようにロゼールに指示したショパンなのだ…

 「グシマーワに書簡を出しましたが、留守で受け取れないかもしれませんので、

エティエンヌ夫人に、十分な量の食料を買ってくるように言ってください。

暖炉に火を入れ、私の部屋に十分な明かりを灯し、家具とカーテン、特にベッドの周りのものを徹底的に埃を払ってください。

長い時間、窓を開け閉めすることになりそうだからです。必ず寝室にある小さな戸棚の角も、徹底的に掃き清めてください。早く、その時が来ないかな。私は前より呼吸が楽になり、人の言っていることが理解できるようになり、親しんだ顔に早く会いたいのです。」

ショパンはロゼールを信用して、全て任せていた。ロゼールはショパンの弟子であるが、

ショパンの身の回りのことやアパルトマンの部屋のことをショパンから任されていた。

ショパンは綺麗好きなのは子供の頃からなのだ、ポーランドのジェラゾヴァ・ヴォラの澄んだ空気で幼少期を過ごしたフレデリックは綺麗な空気かどうか敏感だった…ロンドンの公害は過酷な環境であった。パリも空気が悪かった…。だから生き延びるために悪党サンドと知りながらも、ノアンに行っていたこともあったフレデリック…。

ロゼールに書いた次の日には、また

グシマーワにもロンドンを発つことを

念には念を入れて書くフレデリック…。

「今日はほぼ一日中ベッドで寝ていますが、木曜日には出発する予定です。

この野獣のようなロンドンを、今頃は出発する予定です。

…木曜日から金曜日にかけてブローニュで一泊し

金曜日にはオルレアン広場に昼間に到着し、そこに行く。

到着したら、私はそのままベッドへ入ります。いつもの悩みに加えて、私は神経痛を患っており、私の顔はが腫れ上がっている。」

恐らくショパンはホメオパシー治療の薬で顔が腫れていたのだ…。

「布団や枕を干してもらうようにお願いします。もみの木をたくさん買ってくるように エティエンヌさんは節約してケチらないでくださいと伝えてください。」

ロゼールだけでは心許無いショパンはグシマーワにも細かな指示書の書簡を書いた。

「私が到着したらすぐに暖を取れるよう、工夫してください。

ロゼールにも伝えてありますが、私の部屋にカーペットを敷き、カーテンをかけてください。

家具職人のペリシェにはすぐに支払う。」

ショパンはサンドに家財道具を奪われ何もかもまたいちからだ。

家具のお金は帰ったら払うというフレデリック。「プレイエルにも伝えてください

木曜日の夕方、どんなピアノでもいいから送ってくれ、支払いはそれからだ。

ピアノの運搬費も支払いますから。

 金曜日には、スミレの花束を買って、

私の居間に香りを漂わせてください。

私は、家に帰ったら小さな詩を見つけたいのです。

寝室に向かう途中のほんのわすがな

ひとときです。

私は長い長い時間をベッドで過ごすことになるからです。」イギリス帰りのショパンだが、やはりピアノはブロードウッドではなく、プレイエル…プレエルにピアノを用意してほしいとグシマーワに伝えてるフレデリック…ロンドンへ持ち込んだプレエルはパリへは戻さないショパン、だからパリの部屋はまたいちから用意しなくてならない。

ショパンはお金がなかったはずだが…

自分の死期を覚悟しているショパンは

本当はポーランドに一度でいいから帰りたかった、でもそれは叶いそうにないことを

悟り、せめてパリに戻ったときに、

ポーランドに帰ったような気分になるように

、ポーランドの思い出のスミレの花で部屋をいっぱいにしておいてほしいと、グシマーワに頼んだ。その香りに包まれ安らぎたかったフレデリック…。

 「それでは、金曜日の正午までに、私はパリに到着することにしましょう。もう一日ここで過ごせば、私は死なずに済むだろうが、私のスコットランド人女性たち(スターリング姉妹)はとても面倒くさいのだ。

 神の手が彼女たちを守ってくれますように。」ロンドンにこれ以上いたら、スターリング姉妹に殺されかねたいほど、スターリング姉妹はショパンのためだと言いながら、

ショパンに厄介な問題を持ってくる。だから

早く早くロンドンから逃げ出したいが、

自分が居なくなってしまったら、スターリング姉妹はどうやって生きていくことが出来るのか…ショパンはスターリング姉妹のことを、『哀れなスターリング姉妹にお恵みあれ』と神様に頼んだ。

「…マルチェリーナ王女とその家族は

私を生かしてくれた唯一のひとです。

そして、シュルツェフスキのような善良な人たちだけです。」

ショパンはロンドンを発つ前に、この二人意外は自分を殺そうとしに来た人々なのだと、

ズバリとその他の人々との関係を絶った。

「他の場所に私の使用人のための小さな部屋がしばらくはあったらいいのですが、

ないなら、どうでもよいのです。」

どうせいつまで生きられるかわからない身だから、使用人のことも気になるがやがてはいらないから、どうでもいいことだと、

やや投げやりになったフレデリックだった…。

それでも忘れずに「愛をこめて。ショパン」

と結んで終えたかと思ったら…

 「暖炉に火をつけて、私の部屋を暖め、埃を払うように使用人に仕向けてください。

私はまだ回復していない。

 死ぬまで私はあなたのものです。ショパン」

部屋を暖めて清潔にと、何度も何度も繰り返すショパン…自分の万が一を思い、皆んなが部屋に来るであろ…だから、部屋を綺麗にして暖めておいてください…グシマーワ、ロゼール、使用人さん、よろしく、よろしく…。

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フレデリックはパリに戻る前に、

グシマーワ、ロゼール、それから、

忘れてはならない、ソランジュに宛てて書かねばならぬことがどうしてもあった。

ソランジュはロシアへ行こうとしているとロゼールから聞いていたからだ…

ショパンは憎むべきサンド、そしてその娘ソランジュ、だから、ソランジュのことも放っておけばいいものの、

ショパンにはそういうわけにはならないのだ。

ショパンはソランジュにお金を支援してきたのだ。いや支援ではない、ほとんどたかりなのだ。事あるごとにサンド一家にお金のことで振り回されてきたショパン、ショパンがサンド一家を金銭的に支えて来たといっても過言ではない。ソランジュのことも金銭的にも精神的にもショパンが支えてきたのだ。

ショパンはソランジュに対して心底優し過ぎた…それなのに、なぜ、そのソランジュまでもが、ロシアへ行こうとしているのか…。

ロシアからソランジュの夫のクレサンジュに

ロシアに来たら仕事を保証するとの誘いがあったからなのだ。そうして、

ショパンに友好的だった人が一人二人とショパンから離れていくことがショパンは不安だった…。書簡をグシマーワへ書き、次の日はロゼール、その次の日はソランジュへ、ショパンは休むことなく書き続けた…。

「あなたは私を非常に不当に非難しています。私はあなたに書簡を書こうとしていたのです。あなたのこの書簡を受け取る前からご主人のことを考えておりました。あなたのご主人にロンドンでの仕事がないか情報を集めておりました。」ソランジュはショパンから書簡がないことはショパンが人情に欠けているからだとショパンを非難する書簡をショパンに送ってきていた(現存せず)。

「ロンドンとその美術事情に詳しい人から連絡が来たところですが、ロンドンでは、公務員、判事、弁護士は別として、社交界の貴族方は冬にこの街で見かけることはありません。ご主人を助けてくれる人たちはは3月か4月にしか帰ってこないので、ですから、次のシーズンが始まる前まで何もできないのです。…」

ショパンはソランジュの夫のクレサンジュがロンドンで芸術家として活動できるための根回しをしていたのだ。

そして、どこで入手したのか、ロシアの

労働者の姿の写真か何かは、現存しないため不明だが、クレサンジュを引き留めるために写真を書簡に同封したと推測される…

「ロンドンで働くこともリスクはありますが、ロンドンに有力な推薦者があれば可能性はゼロではないかもしれない。

 この悲惨な状態は、ダゲレオタイプの写真で観察することができます。」ロンドンもリスクはあるが芸術の彫刻家として働く可能性ならば、ロンドンに来たほうがましであるとソランジュとクレサンジュを説得した、しかも既に、ショパンは口添えしてあるというのだ。

ショパンはソランジュのためにクレサンジュがロンドンで芸術家として働けるように

あらゆる手を打っていたのだ。

 「もし、ご主人が1ヶ月滞在されたら、さほどお金はかかりませんし、この国の事情を見ることができます。私は数人の有力者を知っています。彼らはできる限りクレサンジュ君を援助をすると誠心誠意約束してくださいました。」ショパンは自分がまだロンドンに未練があるはずだというのに、『自分への援助は辞退致します…その代わりに…パリで活躍中の素晴らしい彫刻家のクレサンジュ君の援助をどうかよろしくお願いします!』

とロンドンの貴族で政治家の有力者にショパンは死んだ気になって頭をさげて頼んだのだ。そして、ソランジュの母親サンドのことは…

「しかし、今はまだ何もできない。

パリであなたに起きていることについては、もしかしたら、

あなたのお母様は、あなたのために最善を尽くしているが、お金がないのでしょう。お母様が買ったと思われる古い小物類を、お母様はあなたにお返しするべきです。

その訴訟で差し押さえられるのを防ぐためです。家を売れば、新しい生活ができます」

サンドの借金地獄でパリを追われていたサンド一家だが、ついにノアンの館も差し押さえられそうだったが、サンドとモーリスが先手を打ったのだ、それはソランジュの物を無断で売ったのだ。だから、その分はソランジュにサンドがお金がないならば、サンドの物でソランジュに返すべきだとショパンは意見した。

「結局は彼女はあなたの母親であり、自分を忘れることがあっても、あなたを忘れることはできないのです。

明日、私はパリに戻ります 。

私は衰弱しています。

あなたは弱っている私を見たことがないでしょう。」

そして、ショパンはグシマーワやロゼールに書いたとように自分が健康ではないことを同ソランジュにも詳しく書いた。それから、

「私は午後2時にロウソクを灯す。

私は来シーズン、ロンドンに来ることを約束しました。女王陛下の主治医であるジェームス・クラーク卿は、ちょうど今、私の診察においでになり私を励ましてくれました。

だから私はまた

オルレアン広場で泣き喚きながらも、より良い時を望んでいる。」

ショパンはパリに戻り今よりはいい時を過ごしたかった。わすがな最後のフレデリックの望みだった。

「ギュリー村の健康な空気があることにあなたは感謝することを真剣にお勧めします。

そして、あなたのそばには夫がいる。

そして、あとは、まあ、きっといい時代が来るでしょう。」

ソランジュは環境に恵まれている、だから不満ばかり私にぶつけないで、それに気がつきなさいと、ショパンはソランジュを嗜めた。

ショパンはソランジュの親代わりのようなことをソランジュが子供の頃から助言してきたのだ、だからなのだ…。

「ロシアについては、あなた方に

紹介状を書いてくれた有力者の方々のことですが、ご主人をサンクトペテルブルクに連れて行くのは、とても難しいと思います。

フランス人が特別な手続きを踏まずに入国することは、現在では非常に困難です。

ですから、オブレスコフ夫人を責めないでください。もし彼が仕事を見つけられたら

イギリスでならば、彼はもっと稼げるし、もっと快適な条件の環境もあります。」オブレスコフ夫人もクレサンジュのロシア行きを反対するのは個人的な感情ではないからだ、

だから、夫人を悪く思ってはいけない、と

ショパン、

「あなたが肺が丈夫なら、気候との戦いは必要ないからです。

また、ロンドンに住めば、冬は自分の作品を準備することができます。

次のシーズンに向けての彫刻に専念出来るのです。必要なのは少しの辛抱です。

サンクトペテルブルク行きの許可証が届くかもしれない。」許可は下りるかもしれないが、行かないほうが賢明だと懸命に説得するショパン。

「今のところ、ロンドンは、

芸術はオフシーズンであるため、芸術家は死んでしまいます。暇な人々は

才能のある人が成功するために 芸術家を

を助けることに興味が全くないのです。

ご主人の銅像は立派なものです。

よほど高く評価されないと、ロンドンでは美しいとは思ってもらえません。

初めて見る人は その後、"クレサンジュの作品だ!"と賞賛されるでしょう。特に、偉大な公爵や貴族が認めてくれなければなりません。

しかし、今は皆、貴族の方々はロンドンの郊外の別荘にいます。

 この混乱した手紙をお許しください、

しかし私は今日とても苦しいのです。

決して私の旧友を悪く思わないでください。どんな試練にも耐えられるからです。ショパン」書き終えたショパンはこれでソランジュとクレサンジュが踏み止まるであろうと少しは安堵した。

 そして、ショパンはいよいよロンドンを後にした。ポーランド人の友人、レナード・ニェジヴィエツキと共にショパンはロンドンからパリへ向かった。

その日程は、11月23日、ロンドンを発ち、ショパンの友人でもあるブロードウッド氏は、

スコットランドへの旅の時のように、ショパンの向かい側の座席も手配してくれた。

ショパンは足を上げることができたのだ。

ニェジヴィエツキは自身の日記で、ショパンは列車が走り出すと同時に、神経性の発作のが起こったため、ショパンがこのままでは死ぬのではないかと思ったと記した。

しかし、ショパンは回復し、フォークストンに到着した二人は宿屋で食事をし、そして、

ブローニュで一夜を過ごしてからパリに到着したのは推薦11月24日(金)の昼だった。

サンドへの呪いと憎しみをソランジュを助ける慈悲に変え、ロンドンを去ったフレデリック・ショパンだった。


フォークストン現在

フォークストン19世


イングランド南東部のケントにあるイギリス海峡の港町。町はノースダウンズの南端、2つの崖の間の谷にあり、19世紀と20世紀のほとんどの間重要な港と海運港だった。

フォークストン港近くの南東鉄道(SER)のためにウィリアム・カビットによって設計された鉄道高架橋を示すJ・ハーウッドに彫刻。鉄道は1843年にフォークストンに開通した。会社は港を購入し、ドックまでの路線を建設し、ブローニュへの蒸気フェリーサービスを開始。フォークストンへの鉄道の到来は、19世紀の町の繁栄に繋がった。

ブローニュ=シュル=メール19世紀

ブローニュ=シュル=メール19世紀頃

ナポレオン3世の旅

ブローニュ=シュル=メールは、フランス北部に形成された、ドーバー海峡に面した都市オー=ド=フランス地域圏パ=ド=カレー県ビュー・ブローニュと呼ばれるチーズが有名。