間にある愛に、意識の焦点が当たらない現象
先日めったにない夜デートで、ホワイトクリスマス気分を堪能してきたんですけれど、食事しながら話していて、またひとつ僕の特徴に気づいたんですよね。
パートナーシップのセミナーとかセッションとかやっているとね、誰かと誰かの間にある愛が僕にはよくみえるっていうことがよくある。
「あ〜、それ、旦那さんあなたのことすごい愛してるよ、明らかに」「あ〜、奥さん、すごくあなたとの関係を大切に思ってるよ」って、しょっちゅう思うわけです。
第3者のところにある愛は、大変よく見えているし、それを感じることでたくさん豊かさを受け取ってもいる。
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ただ、自分のことについては機能不全がある。僕はけいこちゃんとの間にある愛について捉えようとすると、即、僕の中にあってけいこちゃんに向けられている愛にだけフォーカスが当たる。で、愛がたくさんあるって思う。愛せてることの満足感や喜びもたっぷりある。
ただそのときけいこちゃんの中にある僕に向けられている愛とか、二人の間にある愛とかには、自動的に意識が向かないようになってる。
そういう仕組みになってるのを昨日、けいこちゃんと話しながら気づいたのでした。
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これも乳児期・胎児期系のトラウマに関係しているところっぽくて、ほんとうに小さいときになんかの掛け違いで、母親との間の空間に愛を見つけようとして見つからなかったときがあるんだと想定される。
そこにあるはずの愛がない、そのことに絶望して、もうそれに直面しないために、見ようともしなくなった。見つけようともしなくなった。
この2年くらいでかなり回復したのを実感してるんだけれど、まだもうちょっと残ってるんだよね。
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昨日はそんな発見があってから、あらためて向かい合ってる食事の席で、僕らの間にある愛に意識を向けてみたのでした。
そうしたら感じられるの。
けいこちゃんから僕に向けられている豊かな愛の流れが。それはすごくすばらしいものだったし、油断すると僕の意識はそこからそれようとするのがわかる。
まあでもとにかくそんなわけで、そして幸いちょっと暗いレストランだったので、ふたりして涙を流しながらそこを感じておりました。えへへ。
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僕らが取り組んでる「本当の結婚」って、常に真実の自分を明かし合う。なので、なんていうかな、より深く受け止められる安心感がつねに更新されていくし、その結果、それほどの安心感がなくては浮上しない課題が浮上してくる。
より安心したからこそ、深い層のトラウマが癒える機会を求めて浮上する。
二人が明かす真実の精度が高まるほど、深い層のトラウマが浮上する。
そういうことをずっとやっている気がします。
浮上したものに取り組んだら、その深い傷が癒えて、またひとつ自分の全体性・完全性に近づいていく。
しかしこれがなかなか、簡単じゃないやつもある(笑)。
いや、たいてい簡単じゃないんだけれど。