【私の偏った職歴①】17〜24歳
振り返ると、本当に偏った仕事をたくさんしてきました。
私はいつも、周りの人のおかげで生きてこれてるとよく言うのですが
仕事の経歴を見返すとまさにそうなんですよね。
あれこれ経験させてもらいました♡
※長くなるので《20代前半までの私》と
《20代後半から現在》の私に分けました。
はじめてのアルバイトは飲食店
17,18歳。青森で高校生の時、地元の駅前にある
家族経営の焼き鳥屋さんで夜アルバイト。
人が足りないらしいからあんた行きなさい←
母が勝手に決めてきたのがきっかけ。笑
夏休みや冬休みは昼もアルバイト。
母が働いていた系列の飲食店(イタリアン) で
夜接客するから昼は黙って洗い物希望!!
で雇ってもらっていたのが
人が足りないから←というので
ピザの仕込みをやるようになり、
最終的にはガラス張りのピザ釜の前でピザ焼き職人。笑
水商売
19歳。専門学校で仙台に行き、
学校に通いながら
夜はガールズバーをするようになって
途中からはキャバクラとのかけもち。
Hiphop好きな子ばっかりのガールズバーで
みんな系統も趣味も合うから
キャバクラやっててもガールズバーも続けていました。
美容師
20歳。無事に仙台の美容専門学校を卒業して
美容師免許を取得して東京のサロンに就職。
小学生からの夢を叶える✨
中学生からhiphopが好きだったことから、
特殊ヘアで有名なサロンを選択。
美容業界は基本ブラックという話は有名ですが、
わたしは朝の9:30〜朝の4:00まで働いてました。笑
その結果、半年で倒れて退職。
✔︎プライベートサロンをスタート
21歳。サロンを半年で辞めてしまったけど、
朝から朝まで働いてた分(笑)技術は身についた!!
自宅でサロンをスタート。
当時はまだインスタなどはなく、
その頃流行していたcrooz blogでまぁまぁアクセス数もあって
フォロワーもいたのでそこで宣伝しつつも
大好きなクラブに行って自ら女の子たちに宣伝。
両親には、せっかく美容師免許をとったのに
家で仕事なんて稼げるわけがない
きちんとサロンに勤めて安定した給料もらえ
と散々言われましたが、無視して自宅サロンを継続。
この頃から根拠のない自信しかありませんでした。笑
半年経たないうちに
サロンで働いていた頃の3倍のお給料を稼げるように!!
六本木でホステス
21歳〜並行して夜は六本木のクラブでホステス。
お金持ちと知り合って人脈が広がる。
(今でいう)ギャラ飲み女子
21〜24歳。昼もサロンの予約を取って、夜はホステスしたり
週3〜4でクラブ通いしててどんどん人脈も増えて。
そこから知り合いの社長さんにパーティーに呼ばれたり
そこでまた別の社長さんと仲良くなったり
結果的に顔を出すだけでタクシー代をいただいて
ホステスするより楽しく稼げてる〜♩
と、気づいてしまう。笑
今から10年も前だからまだ
"ギャラ飲み女子"や"タク代女子”
という言葉はありませんでしたが、
現代ではこう呼びますね。笑
モデルのお仕事
20歳で上京してから、様々なご縁に恵まれて
フリーでモデルのお仕事もしていました。
主に、
・Car Showのキャンギャル
・ポルシェクラブのレースクイーン
・アパレルモデル
・車の雑誌のモデル
などです。
以上が、
青森18年、仙台2年、東京5年間での経歴です。
⬇︎これまでの私のことをまとめた記事はこちら