ウィーン体制27-青年イタリア党
2022.03.27 11:14
ドイツも統一に向けた一歩を踏み出したが、イタリアはなかなかしんどいのだ。そもそもドイツと違い、イタリアはフランス、スペイン、オーストリーと、他国に分断された歴史がある。それに中心にどっかり座っているヴァチカンは、全欧州全世界のカトリックのトップであり、国境を区切るという考えが乏しい。
しかし1831年より、ジュゼッペ・マッツィーニが「青年イタリア」という組織を結成してイタリア統一をめざす。彼がようやくイタリア国境の概念を示すのだ。それは「神が定めたアルプス山脈と海」である。そしてこの組織は、ナショナリズムの思想を示している。
青年イタリアは、フランス革命のような個人の権利ではなく、民族の一体性を主張する。そして炭焼党のような秘密結社ではなく、堂々と政治綱領を発表して、団員をつのった。イタリアにおける初めての「近代的政党」だった。そのため多くの団員を得て普及した。
しかし青年イタリアは、武装蜂起によって統一イタリアを実現しようとして、サルディーニャやジェノヴァで蜂起を公然と呼びかける。これが当局の弾圧を呼ばないわけはない。1833、34年に武装蜂起は失敗して、マッツィーニも死刑の宣告を受けて亡命し、運動も衰えていった。