電停を撮る。日常の記録
2022.03.26 14:10
星野勲さんによる平成函館の写真集を編集しながら、
つくづく、当たり前の風景を撮っておく、ということの貴重さを感じた。
そう感じさせた1つが、平成16年7月に撮られた函館駅前電停。
それは、私のまったく知らない、2代前の電停だった。
平成20年から函館通いを始めた私としては、
そのころ現役だった先代の電停が、いわば「昔の電停」なのだが、
わずかその4年前は、「もっと昔の電停」だったということになる。
私の思い出の中には出てくるはずもないが、
そのころいた市民にとっては、
ここで毎日市電を待って学校に通った、とか
ここで当時の彼女と口論になった、とか
亡くなったおばあちゃんの手を引き電車に乗った、とか
さまざまな舞台になっていたはずだ。
中にはイヤな思い出もあるかもしれないが、
「お蔵入り」しそうな貴重な思いが、漠然とした記憶よりも、きっとリアルに甦る。
歴史が事件の記録であるという裏返しとして、当たり前は歴史に残らない。
人の記憶には残るだろうが、記憶は薄れ、記憶を秘めた肉体もいずれ滅びる。
末長く伝えるには、言葉と写真、映像に頼るしかない。
そんなわけで、函館駅前電停の当たり前を撮ってみた。
時期としては、電停背後の旧棒二森屋アネックスが閉館して2カ月後である。
電停そのものの形や色とともに、
この時期の周辺のたたずまい、このころの服装、このころの車…
平凡な写真だが、わずかながらも「あのころ、こんなだったか」を残せるならば。