【日本橋①020】箱崎町
町番号:日本橋①020
町名:箱崎町 一~四丁目
読み方:はこざきちょう Hakozakichō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:存続
冠称:1947(昭和22)年3月15日から「日本橋」
現町名:中央区日本橋箱崎町
概要:隅田川河口部に位置し、北新堀町・武家地とともに1島を成していた。江戸期以前はまだ海面で、天正年間(1573~1592年)は南部を、寛永年間(1624~1645年)以後(一説に天正年間以後)北部を埋め立て、さらに享保年間(1716~1735年)・宝暦年間(1751~1764年)の2回に亘って埋立区域を拡げた。安政6年板の切絵図には、箱崎川に面して東西に箱崎町一・二丁目が並び、南部は武家地だった。町名は筑紫の箱崎に因むとも(求涼雑記)、また昔、箱池(或いは箱崎池)があったためともいわれる。一丁目の河岸地は山谷船の船宿が多く、「山谷河岸」と呼ばれた(続砂子・備考)。南部の武家地は朽木氏により築き立てられたので「朽木島(くつきじま)」と俗称された(画報)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、下総関宿藩久世氏邸跡を二丁目に併合(画報)、さらに下総古河藩土井氏下屋敷等の武家地に三・四丁目を起立。同年の戸数232・人口1,982(府志料)。三丁目は御船蔵のあったところ(沿革図書)。
1878(明治11)年11月2日、東京府日本橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市日本橋区に所属。1905(明治38)年、三・四丁目に埋立地を編入。1943(昭和18)年7月1日、東京都日本橋区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都中央区に所属。
1976(昭和51)年1月1日、住居表示の実施により、丁目の別を解消し、現行の日本橋箱崎町となった。
撮影場所:箱崎町三丁目