【日本橋①023】西河岸町
町番号:日本橋①023
町名:西河岸町
読み方:にしがしちょう Nishigashichō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1928(昭和3)年
冠称:なし
現町名:中央区八重洲一丁目、日本橋一丁目
概要:『江戸切繪圖 : 俚俗 : 日本橋以南・京橋迄』には「西川岸町」とある。日本橋川の日本橋南詰から一石橋南詰に至る細長い区域。町名は日本橋の西に当たるのに因む。日本橋川沿いの船着き場には土蔵が多く並び、西側の外堀に沿う辺りは「城辺河岸」と呼ばれ、また「砥石店」、「中通」の里俗名称があった。町の東、日本橋の南西に「日本橋の高札場」があった。町内の地蔵堂の縁日には植木市が立って賑わった。
1858(安政5)年以後、菓子商榮太樓總本鋪が通一丁目から移転(町づくし稿)。西河岸大福は榮太樓の看板商品である。日に千両の商いに賑わう江戸日本橋魚河岸の西側。西河岸町で金鍔とともに餡子たっぷりの大福餅を売っていた。激しい仕事の合間に小腹を満たすのに恰好な菓子として、魚河岸の若い衆に大評判だった。江戸の頃からたっぷりな餡子と大きさは変わらないそうだ(榮太樓總本鋪)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数138・人口724(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府日本橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市日本橋区に所属。
1928(昭和3)年、帝都復興計画の一環により、通一丁目、呉服橋一丁目に編入となり消滅。現行の八重洲一丁目、日本橋一丁目のうち。
※『角川日本地名大辞典』は読み方を「にしかしちょう」としているが、「にしがしちょう」が正しい。
撮影場所:西河岸町