【日本橋①039】本材木町
町番号:日本橋①039
町名:本材木町 一・二丁目
読み方:ほんざいもくちょう Hon-Zaimokuchō
区分:町丁
起立:慶長年間(1596~1615年)
廃止:1931(昭和6)年
冠称:なし
現町名:中央区日本橋一~三丁目
概要:日本橋川と京橋川を結ぶ楓川(現在の首都高速1号)西側に位置。古くは葦の原で元禄の江戸図では8本の入堀が記されているが、次第に埋め立てられ、『文久板切絵図』には江戸橋際から白魚橋際まで一~八丁目がある。
徳川氏入国の直後、駿河・遠江等から招集された材木商人は、当初は道三堀、八代洲河岸近辺に居住していたが(材木町)、慶長年間(1596~1615年)の江戸城竣工後、当地に移り、そのまま材木商となる者が多かったという。町名もこれに因む(事蹟合考)。1674(延宝2)年に魚市場が開設され、「新肴場」或いは「新場」と呼ばれた。本小田原町と交代で幕府への納魚を務めた。海賊橋、新場橋、弾正橋の架かる楓川の河岸地を「本材木河岸」と称し(備考)、物資の輸送に便利な楓川沿岸には塗物・藍玉等の各種問屋が軒を並べた(買物独案内)。三丁目を俗に「胴切町(どうぎりちょう)」といった。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1870(明治3)年、魚会所跡に東京郵便電信局が開設。現在の日本橋郵便局の地は「郵便発祥の地」である。1871(明治4)年までに、一・二丁目を一丁目に、三・四丁目を二丁目に、五丁目以下を三丁目とした。1872(明治5)年の戸数566・人口2,948(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府日本橋区に所属。同年、錦町の一部を編入、一・二丁目は日本橋区に、三丁目は京橋区に編入(本材木町)。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市日本橋区に所属。
帝都復興計画の一環により、1928(昭和3)年に一・二丁目が江戸橋一~三丁目に、1931(昭和6)年には三丁目が宝町一~三丁目に編入となり消滅。現行の日本橋一~三丁目。
撮影場所:本材木町一丁目