【日本橋①069】芳町
町番号:日本橋①069
町名:芳町
読み方:よしちょう Yoshichō
区分:俗称→町丁
起立:江戸期
廃止:1979(昭和54)年12月31日
冠称:1947(昭和22)年3月15日から「日本橋」
現町名:中央区日本橋人形町一、三丁目
概要:古くは葭等の叢生する所。江戸期から花柳街として発展。芳町を含む現在の日本橋人形町周辺は嘗て「元吉原」と呼ばれる遊里(遊廓)が設置され繁栄を極めた。しかし、江戸市域の拡大により遊郭は浅草に移転し、代わって中村座をはじめ歌舞伎の芝居小屋が建ち並ぶようになった。それに随時して陰間茶屋が生まれ、「若衆」と呼ばれる10代から20代初頭の少年が接客した。それが、後の芳町花街の始まりであった。1841(天保12)年、中村座の焼失で芝居小屋群は浅草猿若町に移転し、その後の天保の改革で江戸市中の岡場所(非公認の花街、遊廓)が取り潰され、深川から逃れてきた芸妓が移り住み、芳町は芸妓の花街となった。隣接の元大坂町、住吉町等に住む芸妓を総称して「芳町芸者」と呼んだ。
「芳町」は俗称としては江戸期から存在し、甚右衛門通り(人形町交差点から小舟町交差点に向かう道)の南北にあった堀江六軒町、堀江六軒町新道、堺町横町の総称だった。
幕末から明治・大正・昭和にかけて繁栄を極め、日本で最初の女優となった川上貞奴や芸妓から歌手に転向した勝太郎等の名妓を輩出した。大正期には「白首」(しろくび)と呼ばれる私娼が登場し、蛎殻町周辺で客を取って風紀を乱していた。
1869(明治2)年、甚右衛門通りの北側の堺町横町と堀江六軒町新道を合併し正式に起立。南側は西側に新葭町が起立し、東側にあった堺町横町は元大坂町に編入され、通りの南北の町名はがらりと変わった。1872(明治5)年の戸数114・人口434(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府日本橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市日本橋区に所属。
1933(昭和8)年、帝都復興計画の一環により、蛎殻町一・二丁目、新葭町、元大坂町、葺屋町、堺町の各一部を合併して町域を拡げ、一・二丁目を起立。1943(昭和18)年7月1日、東京都日本橋区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都中央区に所属。
1980(昭和55)年1月1日、住居表示の実施により、日本橋人形町一、三丁目に編入となり消滅。
なお、花街は第二次世界大戦による営業停止、東京大空襲の被害を乗り越え、1949(昭和24)年、芸妓278名、置屋177軒、料亭・待合を合わせて121軒で復興された。しかし、高度経済成長期後は衰退し、芸妓、料亭は減少し、2010(平成22)年現在、料亭は『濱田家』ただ1軒となり、芸妓16名となった。それでも、久松をはじめ少数の芸妓が花街の伝統を守り伝える努力をしている。
撮影場所:芳町