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江戸町巡り

【日本橋①081】横山町

2017.11.30 16:17

町番号:日本橋①081

町名:横山町 一~三丁目

読み方:よこやまちょう Yokoyamachō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:存続

冠称:1947(昭和22)年3月15日から「日本橋」

現町名:中央区日本橋横山町、東日本橋二・三丁目

概要:

江戸期から昭和初期までは現行の日本橋横山町の殆ど東半部に一~三丁目があった。「横山」の名称は1559(永禄2)年『小田原衆所領役帳』に石井某の知行として、「五貫三百文 江戸横山分」と見えることから、当時既に村落を成していたと思われる。南側一帯(現行の日本橋浜町付近)は干潟であったと思われる。慶長年間(1596~1615年)、本願寺が当地にあったが、明暦の大火後に築地に移転。跡地に町屋が開かれた。

北東から南西にかけての横山町大通りの一部区間が江戸時代の日光・奥州街道にあたり、近隣に投宿する旅人向けの小間物、薬種、紙煙草入、書物(地本双紙)等、各種問屋が軒を並べ、1851(嘉永4)年には41軒を数えた。隣接する馬喰町とともに小間物繊維問屋街として知られる。一丁目には包丁鍛冶が多かった(続砂子)。また、狂歌の清水如水が住んでいたという(江戸名所)。江戸幕府の御用花火師であった鍵屋もここに所在した。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数328・人口1,623(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府日本橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市日本橋区に所属。1905(明治38)年、大通り(本町通り)に浅草から品川行きの電車が開通したが、商人の要望により、馬喰町通りに移行され複線となる。馬喰町との境を成す新道通り(板新道)、大通りは諸問屋が増加し、東京の大問屋街を形成、現在も「横山町問屋街」と総称されている。新道通りの開店者には、成功者が多かったので「出世新道」ともいわれた(中央区史)。

1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、二丁目の一部を橘町に、三丁目の一部を両国に編入し、また通塩町の南部を編入し、丁目を解消。1943(昭和18)年7月1日、東京都日本橋区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都中央区に所属。

撮影場所:横山町三丁目

撮影地:中央区日本橋横山町9番7号(第6イチオクビル)

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