【日本橋①089】久松町
町番号:日本橋①089
町名:久松町
読み方:ひさまつちょう Hisamatsuchō
区分:町丁
起立:天和年間(1681~1683年)
廃止:存続
冠称:1947(昭和22)年3月15日から「日本橋」
現町名:中央区日本橋久松町、日本橋浜町二丁目
概要:浜町川(現行の日本橋富沢町と日本橋久松町の境を成す)の東側に位置する。江戸期の町域は現行の日本橋久松町の北西の一画であった。当初、村松町の一部であったのを、天和年間(1681~1683年)に独立して1町としたという(案内)。町内には刀、脇差、木刀を商う店が多く、新品で安値の物が売られていた。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、越前勝山藩・小笠原氏屋敷跡等の武家地を合併。同年の戸数153・人口724(府志料)。現在の久松警察署付近は1871(明治4)年に囚獄司用地となったが、後に警視庁用地となった。町の東裏には江戸期からの伝承をもつ山伏井戸があり、歯痛に効果があると言い伝えられ、大正期頃まで常に蓋をして、塩と楊枝が載せてあった(中央区史)。1873(明治6)年、両国広小路の芝居小屋が「喜昇座」として開場、後に「久松座」、「千歳座」と改称。度々類焼したが、1893(明治26)年に市川左団次の出資により、「明治座」として再建され、今日に至っている。
1878(明治11)年11月2日、東京府日本橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市日本橋区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都日本橋区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都中央区に所属。
1971(昭和46)年4月1日、住居表示の実施により、南部を日本橋浜町二丁目に編入し、現行の日本橋久松町となる。
撮影場所:久松町