せかせかと通り過ぎてゆく人に知らせよう 一輪の花があなたを呼んでいることを・・
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せかせかと通り過ぎてゆく人に知らせよう 一輪の花があなたを呼んでいることを
魚を釣っている人に知らせよう 時には餌のない糸を垂れて 風の音や 波の音を
ほれぼれと聞くことを 坂村真民
Facebook兼井 浩さん投稿記事 ·
第二次大戦中、灯火管制で、俺たちはいつも暗い中にいた。停電なんてしょっ中だったよ。
電力事情がめちゃくちゃだったからね。
だから初めて大っぴらに電気がついて、それがどんどん街を明るくして、冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビっていう三種の神器がもてはやされた頃、俺たちにはなんかこう-----「罪の意識」みたいなものがあったんだ。
ほんとにこんなに恵まれちゃっていいの?っていう。
罪の意識っていうか-----変な言い方だけどうしろめたさみたいなもの。
だけどぐんぐんそれに麻痺してって、新三種の神器、新々三種の神器と、果てしない欲望の波にまきこまれて行くんだ。
でも不安感はつきまとったね。
こんな倖せすぎる生活が、いつまでもこのまま続くわけないって。
今度の災害で原発事故が起こった時、だから「来たな!」って思ったんだ。
やっぱり来たなって!いつかは来ると思ってたもんが。
獨白 2011年3月 「北の国から」ノーツより
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気がつけば「今」五郎の生き方
今回の災害は、津波、地震という大災害があった訳ですけども、今この災害から日本が立ち直る為にどうしたらいいのかということは色々と論じられていますが、やっぱり、終戦直後のあの復興のところから、六十年かけて我々はよじ登ってきた。これに匹敵する”思想の転換”というものが日本ではものすごく必要だと思います。
第二次大戦の終わった時に”一億総懺悔”ということが非常に言われてたんですね。それは、今までの生活を、全員が、国民まで含めて振り返って総懺悔し直さないと復興はできないということで、そしてその資本主義の社会になって、今に至りました。それで、GNP2位までのし上がった訳ですけれども、それに60年間、みんな溺れてしまって、今度はその溺れてしまったということに対する総懺悔を我々がするべきだと僕は思います。
その時に、一番必要になってくるのは、あの、”黒板五郎の生き方”ではないかという気がします。つまり、モノとかカネとか、そういったものに頼らない、自然からいただいて質素に暮らすという旧来の日本の生活を取り戻すことが今一番望まれているのではないかなという風に思います。
倉本 聰『北の国から』放映30周年記念イベントスピーチより 2011.06.03
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文明っていうのはスピードを物凄く重んじる。早いことが善で遅いことが悪だ。
それを解消する為に、金や労力やエネルギーをかける。速く出来ることが当たり前になる。
この速いことを「便利」といって、「便利」は文明の必須条件なんだな。
森と付き合い始めて、目から鱗が落ちることがあったな。
農作物は一年で出来るけど、樹は成長に50年、100年ってかかるじゃないか。
ところが俺たちの感覚ってものは農業を基準に考えちゃってるんだな。
林業感覚で物を捉えてない。「森の時計はゆっくり時を刻む」
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そもそも便利って何だと思う?
便利ってのはね、人が本来、昔から持っている自分の中にあるエネルギーをできるだけ使わないですむようにすることだよ。自分のエネルギーの消費を抑えるの。
そうやってみんなが動かないようになるとさ、筋肉がどんどん衰えてくるから、
これじゃいけないって金を払って、ジムってところにわざわざ出かけて、何の生産性もない重いものを持ち上げたり下ろしたり(笑)。
どこにも行きつかない自転車を必死になってこいでみたり(笑)。
時間を短縮するってことは文明人の目的らしいね。
そんなに短縮して時間を余らせて、その時間で何がしたいのかね。大したことみんなしてない気がするけどね。
家族と接する時間が多くなったって、そういう話もあんまり聞かないしさ。
~倉本 聰~
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あなたは文明に 麻痺していませんか 石油と水は どっちが大事ですか
車と足は どっちが大事ですか 知識と知恵は どっちが大事ですか
批評と創造は どっちが大事ですか 理屈と行動は どっちが大事ですか
あなたは感動を忘れていませんか あなたは結局何のかのと云いながら
わが世の春を謳歌していませんか「富良野塾起草文」より
「割り箸を名刺で切る」 「スプーンを曲げる」そんな体験を謳いにする講座がもてはやされています
そんな講座に参加すれば 自分が「潜在意識の信じ込みにどれほど縛られているか」を知るサプライズ体験にはなるでしょう。
然しそれは「火事場の馬鹿力」体験を見直すだけで十分な気がします。
自我の防衛機制という概念があります。
http://www.geocities.jp/romiyagi/psyco6.htmlには以下のように紹介されています。
自我の防衛機制とは、不快な感情、気持ち、体験を弱めたり避けることによって、心理的に安定した状態を保つために発生する心理的な作用です。
通常は、無意識のうちに発生します。
防衛機制自体は、誰にも認められる正常な心理的作用ですが、通常は単独ではなく他のものと関連し合いながら作用します。
【抑圧(repression)】 不快な気持ちや考えを、無意識の中に押し込む
【転移(displacement)、代理】 欲求不満を感じたときに、本来の目標を、無意識のうちに別の目標に置き換える
【昇華(sublimation)】 性的な感情などを、社会的に有用な活動に転化する
【補償(compensation)】 劣等感、不満、不快を、別の方法で補うこと
【退行(regression)】 欲求不満が長く続いく時、年少期、幼児期の考えや行動に後戻りする
【同一視(identification)、同一化】 優れた人と自分と同一視し、その考え方や行動をまねる。
(=取り入れ、取り込み)
【否認】 問題に対して、自分の中にそれが存在することを認めない
【打ち消し】 過去の行為や考えに伴う気持ちを、正反対の考えや行為によって取り消そうとする
【分離(isolation)、知性化】 自分の気持ちを直接意識したりせずに、知的認識や論理的思考によってコントロールする
【逃避(escape)】 不安を感じさせる場面、状況から逃げること。現実逃避
【反動形成(reaction formation)】 自分の思っていることと反対のことをする
【投射(projection)】 自分の考えていることを相手におしつけること
【合理化(rationalization)】 出来なかった事を、正当だと思うこと
【置き換え、代償】 抑圧された気持ちや考えを、別の(正しいと認められた)目標や行動に置き換える
【分裂(splitting)】 全てを善悪、正誤で割り切って考えてしまうが、しばしばその判断が変わる
自我は現実適応を可能にする力ということもできます。
受け取りたくない現実が起きたとき 衝動的な欲求から自分を守り 自分自身を維持しようとする心の動きを言います。
自分を守るための心のからくりですから 一見「誤魔化し」とも受け取れますが不安や不快な気分になるのを防ぐ役割を果たします。
私たちの現実には不条理が満ち満ちています。しかし 絶対的な不条理は存在し得ません。
Aさんにとっての道理が Bさんにとっての不条理になることは日常茶飯事です。
先ずは現実を受け入れて、必要であれば、不適切を変えていく力が養われるのではないでしょうか?
誰もが自分の立つ大地は安定していて欲しいと思います。
柱には柱の機能を期待し 壁にはしっかり壁であって欲しいと願います。
ある意味では 必要があって 集合無意識の信じ込みは保たれていると言えます。
車車や飛行機、船・・自分を守ってくれるはずのいろいろなものが 誰かの働きかけで もろくも崩れ去るという実感を抱けば 現実生活は不安に満ち満ちたものになります。
統合失調症の人が 「自宅の壁が歪んで見え ホテルでしか休めない」と訴えるケースに触れたりします。
「山は不動」 「石の土台は崩れ去らない」 ・…学習とは 人類の約束事に順応していくことのような気さえします。
本来セラピーは 現実不適応症状を改善するための援助だったはずですが このようなサプライズ体験はセラピーの機能とは逆の効果をもたらす感じがします。
現に参加したことで 精神不安定に陥ったケースに出会ったりします。
アイディンティティは一旦確立される必要があります。実存的アイディンティティ(魂意識)はしっかり保たれ、社会的アイディンティティは変容してゆく。それが心の成長プロセスとして大事になるのではないでしょうか?
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謙虚にありのままの自分自身を受け入れなさい。それはあなたへの<存在>の贈り物だ。感謝を感じなさい。あなた本来の顔であること以上に、大きな喜びは存在しないOsho