【京橋①008】北紺屋町
2017.12.02 02:19
町番号:京橋①008
町名:北紺屋町
読み方:きたこうやちょう Kita-Kōyachō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1931(昭和6)年
冠称:なし
現町名:中央区八重洲二丁目、京橋三丁目
概要:「きたこんやちょう」ともいう。北紺屋町の名称は何回か代地を給せられたため、京橋川筋(比丘尼橋際)、八丁堀、芝口等、数ヶ所に見られるが、京橋川筋が元地と思われる(画報)。切絵図には京橋川を挟んで南紺屋町、西紺屋町と対し、冠称を付さないのが普通である。町名は府内の染物の国役を司る者が居住していたことによる。『御用達商人由緒書』によれば、町割の際、紺屋所、土屋五郎右衛門に6ヶ町を給し、紺屋町を設けたとある。東は白魚屋敷に隣接、京橋川河岸地を「大根河岸」、「薪河岸(槇河岸)」と称し、また京橋川に架かる比丘尼橋際には、猪の肉を売る店があって有名であった。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、白魚屋敷の一部を合併。1872(明治5)年の戸数145・人口676(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府京橋区に所属。関東大震災後に築地中央市場ができるまで、生鮮青物・魚類等を取引した京橋青物食品市場(別称「大根河岸」)の一画を形成。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市京橋区に所属。
1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、槇町三丁目、京橋三丁目に編入となり消滅。現行の八重洲二丁目、京橋三丁目のうち。
撮影場所:北紺屋町