【京橋①042】尾張町
町番号:京橋①042
町名:尾張町 一・二丁目
読み方:おわりちょう Owarichō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1930(昭和5)年
冠称:なし
現町名:中央区銀座五・六丁目
概要:町名の由来は不明であるが、慶長年間(1596~1615年)頃、町地の造成を担当した大名の国名によるものと思われる。1698(元禄11)年に元数寄屋町から三十間堀にかけて火除地を設け、一丁目の北部は収公されたが、1710(宝永7)年に再び町屋敷となった。そのため一丁目には元地と新地ができた。毎年春の節句前に一丁目に立った雛人形市は本石町十軒店の雛市とともに有名で、路上に仮小屋を設け、販売合戦をするほど賑わった。また現在の銀座四丁目交差点を中心に布袋屋・亀屋・恵比寿屋等、呉服屋の老舗が並んでいた(江戸名所)が、その南は町屋が途切れ、急に寂しくなった。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1871(明治4)年、尾張町一丁目新地を尾張町新地、尾張町一丁目元地を尾張町一丁目とそれぞれ改称。さらに尾張町新地は1923(大正12)年、尾張町一丁目に編入。1872(明治5)年の戸数80・人口315(府志料)。1872(明治5)年、布袋屋跡に日報社が創設され、1886(明治19)年には元数寄屋町から東京横浜毎日新聞社(現在の毎日新聞社とは異なる)が移転。また二丁目には時計・貴金属の販売店・天賞堂が1879(明治12)年に創設された。
1878(明治11)年11月2日、東京府京橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市京橋区に所属。
1930(昭和5)年、帝都復興計画の一環により、一丁目は「銀座五丁目」、二丁目は「銀座六丁目」と改称し消滅。現行の銀座五・六丁目のうち。
撮影場所:尾張町一丁目