今をただ一生懸命に生きるということ
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『今』
今を生きて咲き今を生きて散る花たち
今を忘れて生き今を忘れて過ごす人間たち
ああ花に恥ずかし心いたむ日々 坂村真民
https://president.jp/articles/-/1961 【今をただ一生懸命に生きるということ【一】瀬戸内寂聴】より
これはもう捨てては置けないと、今の状況に心を痛め、療養中の体に鞭打って声を上げる。日本に笑顔を取り戻すために。
地震が起きた直後、マスコミの方々から「慰めの文章か言葉をください」「コメントをください」と連絡をいただきました。だけど私は、そうした依頼を「ごめんなさい」と頭を下げてすべて断ってきました。
普段の私だったら、災害の起きた翌日に現地に駆けつけているんです。新潟中越地震のときも、雲仙普賢岳噴火のときも現地に向かったし、阪神・淡路大震災では道が通れない状態だったので、京都から歩いて行きました。被災した方々はお坊さんの姿を見るだけで、ほっとした気分になるようです。もちろん、義援金を持って行きました。それで私も何らかの役に立ったかなと考えていました。
だけど昨年、背骨の圧迫骨折で入院したため、現在もまだ自由に動けない状態です。温かい家で暮らして、お風呂に入って、それなりのものを食べて、とても「みなさん頑張ってください」とは言えません。それで依頼を断っていたのです。
それが震災から数週間が過ぎた今、地震や津波だけでなく原発や風評被害などの問題が次々と起こって、これはもう捨てて置けない状態になっています。微力でも私の発言が何らかの役に立てばと思い、声を上げることにしました。
東北には縁があります。23年前、私は岩手県の最北にある天台寺の住職になりました。寺の一帯は火山が通り、地震が珍しくない地域です。引き受けてすぐマグニチュード5.5の地震が起きたときは、本やら何やら寺の中にあるものがすべて落ちてきて、逃げて帰ろうかと思ったものですが、しょっちゅう地震があるものだから次第に慣れてしまいました。それでも今回の地震は、いよいよ腐りかけてボロボロの本堂が倒れたかと思いました。だけど中の仏さんは倒れることなく、なにも被害がなかった。昔の建築で揺れに強い構造が幸いしたようです。
檀家や寺の下にある町にもほとんど被害はありませんでした。しかし三陸の町が……。あの一帯は私がしょっちゅう法話に出向いて、ほとんどが行った覚えのある町です。どこも静かないいところだったのに。テレビで山のような津波が押し寄せる様を見て愕然としました。津波が去った後、光景がすっかり変わってしまったことには茫然としました。
何より心配になったのは、そこに住んでいる人たちです。みなさん東北人は寡黙なのですが、仲良くなれば情が深くて優しい人ばかりです。そして人を裏切りません。先日、頻繁に会っている役人さんから震災のことで手紙が届きました。
三陸の町にある彼の生家に津波が押し寄せたため、お父さんがお母さんを助けようと家に入ったところ、そこから両方の行方がわからなくなってしまった。しばらくしてからお父さんの遺体が発見されて、お母さんはまだ発見されていない。そして家はなくなって、思い出の品物も全部流されてしまった――。
そういう内容でした。そんな辛い状況で仕事に出ていることを考えると胸が痛みましたが、仕事をしてるときだけ忘れられるのだそうです。
https://president.jp/articles/-/2071 【今をただ一生懸命に生きるということ【二】瀬戸内寂聴】より
これはもう捨てては置けないと、今の状況に心を痛め、療養中の体に鞭打って声を上げる。日本に笑顔を取り戻すために。
最愛の人を失った身の上相談ほど悲しい気持ちになることはないし、そんなとき、その人を救える力なんて我々は持っていません。ましてや「頑張れ」とも言えない。何もかも失った状況で、何を頑張ればいいのでしょうか? 一人ひとりが「頑張ろう」という気持ちを持つのはいいことでも、絶望的な心情の人に「頑張れ」の言葉をかけるのは負担になるだけです。
私たちにできることは、「大変ですね。辛いでしょう?」と相手の辛さを思いやり、悲しさや苦しさの言葉に耳を傾けることです。気持ちだけでも寄り添うと、相手は少し楽になりますから。
私は身の上相談をいっぱい受けてきましたが、大体の人は、答えを求めているわけではありませんでした。それでもなぜ相談してくるかといえば、話を聞いてもらいたいからです。
「亭主が浮気してしょうがない」という相談に「別れなさい」とアドバイスしても解決しませんが、「昔はいいときもあったんでしょ?」と水を向けると、「1日にラブレター4通もくれました」などとのろけて、満足して帰っていきます。
もちろん災害と浮気では次元が違います。しかし人間は一人で黙って悲しさや苦しさに耐えることが一番つらいのです。誰かお見舞いに来てくれたら、何か聞いてもらいたくなります。胸のうちにあるものを吐き出したほうが楽になるのです。
震災の被害を受けず、被災者の話を聞く境遇にもない人たちは、今、「自分に何ができるのだろう」と悩んでいるのではないでしょうか。でもその「何をしてあげられるか」と考えることが何より大事だと私は思います。
「思ったり祈ったりするだけで何の効果があるのか」と言う人もいます。正直な話、何もないかもしれません。祈って効くなら、お寺に来る人はみんな死なないはずですから。だけど自分のための祈りではなくて、「人の不幸が少しでも楽になりますように」という祈りに、神や仏は感応してくれると私は信じています。
そして念は固まったら通じるものです。みんなが戦争はいやだと思えば避けることができるし、みんなが原発はいやだという気持ちになれば防ぐことができる。決して祈りは無駄にはなりません。小さなことでも、みんながやれば大きな力になっていくのです。たくさんの念が一つになれば、応えが返ってくるのです。
だからそんなことが役に立つのかと思っても、できるだけ電気を消す。悲しみにくれている人を考えたらあまりウキウキしていられないと、欲しいものを買い控える。特別に何かをすることより、自分の生活をつつましくするだけでも何か変わってくるはずです。あまり自粛ばかりしていると景気が悪くなるという声もありますが、ここまで被災地の状況が悪化したら、日本の経済が今後どうなるかはその次に議論すればいいこと。今は自粛すべきときなのです。
しかし電気の問題は、私だって他人事ではありません。家の中は全部電化してあるので、電気が止まったら、きっと不自由で仕方がないでしょう。私たちは贅沢に慣れてしまったため、そうではない生活を辛く感じます。でも命に代えられないと思えば頑張れる。少し前の時代まではみんながやってきたことなんだから、ふんだんに電気を使わない生活ができないはずはないんです。こんな夜中に明々としている街は日本だけです。そのうち、夜の暗さにも慣れることでしょう。
地震や津波のような天災はあきらめるしかないところがありますが、原発は人災です。もともと原発は人間が造ったものです。禁止されている国もあるし、日本でも危険性に気づきながら運転しているのはおかしなこと。これを機にやめるべきなのでは、と強く思います。
https://president.jp/articles/-/3438 【今をただ一生懸命に生きるということ【三】瀬戸内寂聴】より
これはもう捨てては置けないと、今の状況に心を痛め、療養中の体に鞭打って声を上げる。日本に笑顔を取り戻すために。
私は原発の資金で建てられた、敦賀にある女子短大の学長を務めたことがあります。そのとき、原発を見せてくださいとお願いしたら、関係者が一様に嫌がりました。話をつけてなんとか見にいったのですが、中がお粗末なつくりであることに驚き、案内人が仕組みを説明できないことに不安を感じました。今回の震災も関係者の会見を見ていて、同じ気持ちになります。普段使わない専門用語で「大丈夫」と言われても素直に頷けないし、言ってることがどんどん変わってくるので、何かを隠しているように見えてしまう。
原発は風向きひとつ変われば、放射線が東京にも届きます。特に心配なのが子供です。私が生活している京都の「寂庵」にも、東京から逃げてきて「泊めてくれないか」という家族が何組も訪れました。赤ん坊を抱いたり、小さい子を連れたりしている彼らに「住むところはあるの?」と聞いたら、「ないけれどじっとしていられないから、とにかく逃げてきた」と言います。
われわれ人間は、これまでおごりすぎていたのかもしれません。ものごとをよりよくするためと言って、人智を尽くしたつもりでした。でも知識や科学の力に頼りすぎました。だから原発だって本来は恐ろしい存在のはずなのに、感覚が麻痺して当たり前のように恩恵にあずかっていたのです。
日本は戦争に負けたとき、今の被災地のように何もかも失いました。しかし次第に失ったものを得たい気持ちが湧いてくるもので、住むところを求め、家を確保したら、今度は着るものが欲しくなります。そして衣服が揃うともっといいものを――とだんだん欲望が募っていく。結果、昔以上の生活をするようになった日本人は、目に見えるモノやお金などばかりに心が向いてしまいました。そのことを今、反省する機会が与えられたようにも思います。
本当は、目に見えないものが人間にとって一番大切なのです。心、神、仏……。この目に見えないものによって世の中は動かされているから、地球と太陽がぶつからないし、私たちは生きていくことができる。改めて、目に見えないものに畏れを持たなければいけないと、自戒をこめて思います。
今は、原点に返って考えるべきときなのかもしれません。原発の構造がどうなっているのか、どうして必要なのか、代わるものはほかにないのか、よその国はどうしているのか――。次の時代を築く子供たちがしっかりと生きていくためには、改めて大人たちが勉強し直す必要があるのではないでしょうか。
避難所の子供ばかりをグラビアで取り上げた週刊誌がありました。子供って無邪気ですから、そんな悲惨な中にいても笑顔がある。やっぱり子供が頼り。未来を背負うのはこの子たちです。子供が無事に育っていって、しっかり勉強ができる世の中を今の私たちは残していかなければならない。それはわれわれ大人の義務でしょうね。
https://president.jp/articles/-/2715?page=1 【今をただ一生懸命に生きるということ【四】瀬戸内寂聴】より
これはもう捨てては置けないと、今の状況に心を痛め、療養中の体に鞭打って声を上げる。日本に笑顔を取り戻すために。
心に迷いが生じたとき、私は『一遍上人語録』を読み返します。踊念仏で全国を遊行し、陽気に「南無阿弥陀仏」を広めた一遍は「捨ててこそ」の思想を実践した人物です。
捨てると言っても、今話題の断捨離とは異なります。たとえば好きな人がいるのに振り向いてくれない場合、そのことばかり考えていたらいつまでも気分がすぐれません。一つの思いにすがっていると人は情けなくなるので、その思いを捨てる必要があるということです。
災害に遭った人もつらい気持ちをなんとか捨てて、新しく出直すしかないと思います。忘れてもいいんです。戦争だってあの悲惨さを覚えていたらとても生きてはいけません。人間は辛い気持ちを忘れるから生きていけるのです。
親が死んだり、子供が死んだり、とても悲しいときは、身も世もなく嘆くけれど、1週間泣き通しているかというとそうでもありません。1カ月経って気がついたら、「ああ、今日は少し忘れていた」と悲しみは薄らいでいきます。1年経って、1年前と同じ気持ちのままということはない。忘れるなと言ったって忘れるんです。それは薄情なのではなくて、忘却は神か仏が与えてくれた恩恵なのです。
過去のことを嘆いても、前に進めません。数十年前、五番目のお見合いの相手を配偶者にしたけれど、もし二番目だったら……と考えても後の祭り。だからといって未来にばかり思いを馳せればいいわけでもない。「明日も地震来るかな?」と心配しようが、来るときは来るのであって、防ぎようがありませんから。
お釈迦様は「過去のことをくよくよするな、未来のことを思い煩うな」とおっしゃいました。過去を追わず、未来に願わない。私たちは、今を生きるしかないんです。今の一瞬一瞬に心をこめて、真剣に生きていく。今日自分は何をすればいいか、どう生きればいいかを考えて実践する。誰かに「大丈夫ですか」とメールを打つでもいい。わずかでいいから義援金を出すでもいい。それが私たちにできることではないでしょうか。
そのうえで、少なくとも気持ちは暗くなりっ放しではいけません。不幸はいつもお通夜帰りのような暗い顔をしてる人が好きで寄ってきます。こういうときに必要なのは、笑顔。笑ってるところには明るい運命が訪れます。
家族や仲間といるときはなるべく笑うようにしましょう。今笑うことは決して不謹慎じゃありません。お花見だってお酒を飲んで騒ぐのは遠慮すべきですが、花を見て心が慰められるのであれば、私はやればいいと思います。夜空を見上げて暗闇に光る星に希望を見出してもいいし、自分が勇気づけられたり、幸福な気持ちになることを求めてやるべきです。自分が幸福でないかぎり、周囲を幸福にすることはできません。
花といえば、私は体を壊してから家にばかりいるので、庭の梅に蕾がついてることや、それが1日ごとにふくらんでいることに敏感に気づくようになりました。そのことをみんなに報告したら、「忙しくて梅の花をしみじみ眺めたこともなかったんですね!」と笑われました。震災で経験した通り、自然は恐ろしい脅威を与えます。しかし同時に、無限の慰めも与えてくれるのです。
花が咲いていること。花に色がついていること。どうしていちいちそれらにびっくりして、心洗われる気分になるのでしょうか。それは移り変わりがあるからです。私は90年近く生きてきて、つくづくすべては無常だと悟りました。無常とは悪い意味ではなく、常がない、つまり同じ状態は続かないということです。花は咲いて散って枯れるし、人は生まれて老いて死ぬ。そして雨が2カ月降り続けることはないのです。
今の日本は、おそらく未曾有のどん底に落ちているのです。でも世は無常なのだから、ずっとこのままということはありません。どん底の下はない。だからこれからは上がっていくだけ。どんなに辛くても桜は咲き、春はやってくるのです。そう考えましょう。そう信じないと、私たちは今日という日を笑えないじゃないですか。