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選択が人生を創る

2023.12.24 13:00

Facebook一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)さん投稿記事

何ひとつ保障されたものなくすべてが不確実な私たちの人生は時に悲劇のようです。

しかし、その不確実さの中でも私たちは平和と安定を取り戻そうとし有限の人生を無限にしようと努力します。

常に何かを選択しながら。瞬間ごとに選択が続き刹那に映し出される光のような選択が私たちの人生をつくっていきます。

選択は自分がするものでその選択に堂々としている必要があります。

自分の選択によって時には苦しんでもそれを選択することで喜びを感じ堂々とできるのであればそれは間違いなく、いい選択です。

瞬間ごとの選択と刹那の光の中で各自の選択と善良な思いがよく表現されいい人生、いい世界を実現していけるよう願っています。

Facebook岡本 よりたかさん投稿記事

「苔」

不安とどう付き合うか。

僕は長く不安神経症に悩んで来た。パニック障害という名の病にも苦しめられていた時期がある。

病名なんかどうでもいいのだが、ただ苦しくて生きづらくて仕方がない。

いつも時間を止めたいと思っていた。明日など来なくていいと思いつつ、暗闇が怖くて怯える夜。でも、鳥が奏でる早朝の音に聴き惚れてもいた。

僕は何のために生まれてきたのか、自問自答し続ける毎日。なった者にしか分からない苦しみ。

何故何故何故の毎日は、呼吸さえできなくなる。とにかく辛い。辛くて辛くて涙が出て、涙も枯れて声も掠れる。

自分を否定し、自傷し、物に当たり散らし。やがて何もやる気がなくなり、ただ眠る。

一番近くにいる人ほど分かり合えず、相談相手もいないことに苦しむ。

僕だけではないだろう。人は多くの事情を抱えながら日々過ごしている。

未来を見れなくなった時に、人は死を覚悟する。

そんな時に、フラッと出かけた田舎の街で、僕は大自然の中に佇む小さな苔が目に止まった。

太陽や空気や景色ではなく、苔。

何故苔だったのか分からないけど、ただ、苔が愛おしかった。石にこびりつく苔。小さな身体で必死に石に張り付く。

苔は、その短い根で酸を出しながら、あの硬くて重い石を溶かし、ミネラルを吸収し、そして自分の体積の7倍もの水分を溜め込む。

その溜め込んだミネラルと水は、どこからともなく苔の中に落とされた野草の種を芽吹かせ、そして育てる。

植物は苔がなくては生まれなかった。地球が岩石で覆われていた時、最初に生まれた植物が苔だったはずである。

その使命感に僕はいたく感動し、苔を見続けた。じっと動かずしっかりと石に根を張る。石が動けば自分も動き、剥がされても再生する芯のある生命感。

自分と比べると悲しくなる。ふわふわと根を張ることもなく、社会が動けばそれに馴染めず、あちらこちらとブレ続ける自分。何も育て上げることのできない包容力の無さ。

自分もこの苔のように地に足をつけ、棲みつく場所をしっかりと選び、次世代に何かを残せるような生き方をしなきゃいけないと、ただ漠然と思ったのである。

それからは、ひとつひとつ身ぐるみを剥いでいく作業を続けた。まずは服を捨てた、靴を捨てた、本を捨てた。

そして、しがらみを捨てるために、家を捨て、人を捨て、そして暮らしていた地を捨てた。

僕をがんじがらめにしているのは、僕の周りにあるものだから。それらの魂が僕を縛り付けている。これを捨てなければ、僕はここから抜け出せないと思ったのである。

そして、ひたすら生きていく。ゆっくりでいいから確実に、同じ歩幅で歩き続ければいい。今、この瞬間のために、ただ歩き続ければいい。

そう思った僕は、畑に居座ることにした。ここにいれば何かを掴めるだろう。植物と共に生きていけば、確実にそしてゆっくりと歩き続けられると信じ移住を決めたのである。

そう、何一つ持たずに。

身ぐるみを剥ぐということは、しがらみから逃れることなのだと僕は思う。

さて、明日から、郡上八幡、大阪、千葉のお気に入りのカフェで「象牙の塔を越えて」のお話会の開催です。

「小さな革命」

そうそう、「象牙の塔を越えて」の"越えて"を"超えて"と書いている方がいて、本のタイトルは"越えて"の方、つまり乗り越えるの"越える"。

これ、実は微妙に意味が違う。"越える"は通過点を過ぎることであり、"超える"は量を超える時などに使う。

人生で辛いことがあっても、それを乗り越えて今を生きるという意味もあるのだが、今日は、この「象牙の塔を越えて」という、僕にとっては9冊目、10冊目の出版になる二冊の本の出版記念お話会を開催した。

場所はお気に入りのカフェ。仲の良い地元の仲間の店。コロナ禍など関係なく楽しく開催したいところだが、行政はそれでも圧をかけてくるから困ったものだ。

それはいいとして、今日話した事は、生きるために大切な十箇条。第一巻の中で紹介した内容であり、僕が思う幸福に生きるための方法を箇条書きにしたもの。

色々あるのだけど、この中でとても大切な事として、以下の二つを特に覚えておくと良いと話した。

"自分は特別な人間だと信じ込む"

"自分には使命があると強く信じる"

これは革命家待望論を否定するものでもある。つまり他人任せにせず、自らが革命家となれという意味と考えて欲しい。

世の中を一気呵成に変えてくれる革命家を待ち続けていても、自分の暮らしが劇的に良くなる革命など絶対に起きない。

自分の暮らしを変えたいなら、自分が革命家になる必要がある。かつ、その革命家は自分を変えるだけでいい。

その小さな革命家が、無数の小さな革命を起こしていけば、世の中は一気呵成に変わっていくものなのだ。

大きな革命はむしろ多くの人々を危険に晒すだろう。それよりも、一人一人の暮らし方を変え、選ぶ政治家を変え、買う物を変え、使う物を変えていくだけで、平和に革命を起こせるのである。

さて、12/5は大阪、12/9は千葉県で開催する。大阪は満席、千葉県いすみ市のブラウンズフィールドでの開催は、食事なしのチケットのみ残っている。

出版記念お話会はこの3回と、1/16のたねのがっこう神戸三田校主催のものだけだが、セミナーやワークショップは全国色んなところで開催しているので、是非どこかでお会いできればと。

おやすみなさい。

#象牙の塔を越えて

「自分が変われば,世界が変わります。」良く聞く言葉です。

この考えだと、私が、腹立つ人の為に、セラピーを受けたら、相手が変わるって事ですよね?

半信半疑で、セッション受けたけど、相手は変わらないのです、「『周囲は自分の鏡』が本当なら、私が悪いのですね?」そんな声が聞こえてきそうです。

セラピーの世界では「過去と相手と客観的出来事を変えることができない」は鉄則です。

変えることができるのは自分だけ。

子ども時代に目の前で 母を交通事故で亡くした40代の男性を知っています。

「母を交通事故でなくする」なんて誰もが起きて欲しくない悲しい出来事です。

それ故に彼は新しい母の愛も拒絶、父も拒絶。閉じこもったままです。

然し「起きて欲しくなかった」とどれほど嘆いても 過去を変えることも 出来事を変えることも彼には不可能です。

では彼の人生は母の死とともに終わってしまうしかないのでしょうか?

新しい母の愛、父の愛を受け入れ、自分らしい人生を取り戻すことは不可能なのでしょうか?どのようにすれば自分を取り戻すことができるのでしょう?

不慮の事故で愛するものを亡くした人は沢山います。しかしそんな痛みと悲しみが自分を育てるエネルギーに変えられていったケースを私は幾例も知っています。

何が違うのでしょう?

考えられるのは 潜在意識に閉じ込められた「母を助けることのできなかった自分への怒り」「母を殺した世界への怒りと拒絶」もしかしたら双方かもしれません。

「かわいそうな自分」という被害者意識に凝り固まって バランスを取り続けてきたのではないでしょうか?自分の痛みと怒りを観て 手放す勇気が必要です。

怒りは二次感情です。自分が「激しい痛みと嘆き」を瞬時に「怒り」に変え、「絶望」に変え 潜在意識に閉じ込めた事実を観る必要があります。

その時の「激しい痛みと嘆き」を顕在意識に昇らせ 「涙で浄化」する必要があります。

それから自分を許すことが始まります。

自分を許すことが世界を許すことになり 自分と和解することが世界と和解することになり、愛を取り戻すことになるのではないでしょうか?

「自分が変われば世界が変わる」・…世界は自分が引き寄せているもの、自分のエネルギーへの共鳴現象といえるのではないでしょうか?

セラピーは自分のエネルギーを本来の自分に引きもどす働きとも言えます。