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江戸町巡り

【京橋①081】霊巌島町

2017.12.02 04:49

町番号:京橋①081

町名:霊巌島町

読み方:れいがんじまちょう Reiganjimachō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1971(昭和46)年9月30日 「霊巌島一・二丁目」として

冠称:なし

現町名:中央区新川一・二丁目(二丁目は1931(昭和6)年の町域拡張後)

概要:島名がそのまま町名になっている。霊巌島は「霊岸島」とも書いた。平川(元の神田川)の支流・八丁堀川の河口に面した隅田川の中洲で「江戸中島」と呼ばれていた。徳川家康による江戸の普請によって中島を埋め立て、中央を掘削し(新堀)、北側を箱崎島(現・日本橋箱崎町)、南側を霊巌島とした。1624(寛永元)年、八丁堀北東方の沼沢地を霊巌雄誉上人が拝領、霊巌寺を建立。それを機に「霊巌島」と称されるようになった(寛永日記)。しかし、明暦の大火で霊巌寺は深川へ移り(深川霊岸町)、跡地に町屋が成ったとされる。

以後、随時埋立事業が行われ、「蒟蒻島」と俗称される所もあった。『文久三年板切絵図』(1863年)によると中央を新川が東流し、一ノ橋、二ノ橋、三ノ橋が架かり、八丁堀とは霊岸橋、亀島橋、高橋で結ばれている。越前福井藩松平越前守下屋敷の他、亀島川河口部には御船手頭向井将監の屋敷があり、また町屋17町には「霊巌島」の冠称を付したものがある。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。

1878(明治11)年11月2日、東京府京橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市京橋区に所属。

1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、町名から「町」が省かれ、銀町一丁目の一部、長崎町一・二丁目の各一部とともに霊巌島二丁目の一部となる。なお、霊巌島一丁目は長崎町一・二丁目の各一部、川口町の全部、東湊町一丁目の一部が合併して成立し、町域を拡げた。なお、いつの頃からか「霊巌島」から「霊岸島」に漢字表記を改めている。1943(昭和18)年7月1日、東京都京橋区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都中央区に所属。

1971(昭和46)年10月1日、住居表示の実施により、新川一・二丁目に編入となり消滅。

撮影場所:霊巌島町

撮影地:中央区新川一丁目5番13号(霊岸島交差点 全印健保会館前)

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