「五七五」自殺回避の妙薬に 論説委員・清湖口敏
https://www.sankei.com/article/20161002-6EIEWVCDWZJAHGA6RYYRJEQAUY/ 【「五七五」自殺回避の妙薬に 論説委員・清湖口敏】より
俳句が好きで、「プレバト」というテレビ番組の俳句コーナーを時々見ている。芸能人らが詠んだ句を宗匠の女流俳人、夏井いつきさんが毒舌に富んだ評言とともに、一刀両断に添削するのが何とも痛快だ。
幸せにする力
その夏井さんが最近の毎日新聞に「俳句は人生という道を転ばないためのつえであり、ケガをした時の包帯みたいなもの」だと書いていた。病気で入院するとき「せっかくだから手術室で一句詠んでくる」と語った人や、番組が機縁となって夫婦に会話が戻り、熟年離婚を免れた人の話も紹介している。夏井さんは、俳句には人を幸せにする力があると言い切る。
俳句の効用については、これまでも多くの人が指摘してきた。脳科学者の茂木健一郎さんもその一人で、『俳句脳』(俳人、黛まどかさんとの共著)の中で概略次のように論じる。
仮想や空想が許容される場合ほど、課題を成し遂げた暁にはドーパミンという快感を生み出す物質が大量に分泌され、大きな喜びが得られる。抽象的な思考から快感を得る営みとして俳句ほど有効なものはない。
黛さんも言う。俳句という型式が饒舌(じょうぜつ)な叙情を拒む。むしろ思いを詠まないことで余情が生まれる。ゆえに俳句は作者の思いを昇華させ、辛(つら)い体験や嘆きを癒やし浄化してくれる、と。
あるデータに徴して俳句の力を訴えた俳人もいる。秋元不死男で、いささか長い引用となるが記してみたい。
「文芸の世界で自殺をした著名人は作家に最も多く、つづいては詩人。短歌や俳句のほうで名の知れた人が自殺したという話はついぞ聞いたことがない。俳句界に至っては皆無だ。むしろ、いのちを大事にして長寿を完(まっと)うする人が俳句界には絶対に多い」(「子規・自殺・俳句」/『明治への視点』)
極楽の文学
俳人に自殺者がいない理由として秋元が挙げた中には、こんなものもある。「じたばたしたところで十七字は長くも短くもならない。俳人はその定型の不動に充足感を感じる。充足していれば苦しみはないから自殺心は起るまい」「俳句は諧謔(かいぎゃく)の文学。おかしさを思う心に自殺心は忍び込まない」…。
「如何(いか)に窮乏の生活に居ても、如何に病苦に悩んでいても、一たび心を花鳥風月に寄する事によってその生活苦を忘れ病苦を忘れ、たとい一瞬時といえども極楽の境に心を置く事が出来る」(『俳句への道』)
最近、衝撃を受けた記事がある。日本財団が20歳以上を対象に意識調査をしたところ、4人に1人が「本気で自殺したいと考えたことがある」と答えたという。20代、30代でとくに率が高く、ともに34%強だった(9月8日付小紙=東京発行)。
悲しい数字
内閣府の統計では、昨年中の全国の自殺者総数は2万4千を超え、20代と30代の合計は5439人、19歳以下でも554人に上る。未来ある若者には希望に胸をそらし、溌剌(はつらつ)たる人生を歩んでほしいと願うのだが、現実は何と悲しい数字を残していることか。悩む心を一瞬時でも月や海や小鳥や花に向け、悩みを忘れ、慰安を得ることはかなわなかったのだろうか。
やや強引の感がなきにしもあらずだが、それでも「定型の充足感」とは言い得て妙で、私も句作の際には無意識下ながらもそのような感覚に甘んじることが多いような気がする。
高浜虚子は俳句を、絶望に近い人間に一点の慰安を与える「極楽の文学」だと説いた。
そんな俳句の力を借りられないものだろうか。今では俳句教育に熱心に取り組む学校も増えている。路傍の草花や虫の声に心を寄せることは、小さいなりにも精いっぱい生きている命に実感的に触れることであり、ひいては自らの命を大切に生きていくことにもつながるはずだ。
国民皆保険ならぬ「国民皆俳句」を-とはいかないまでも、俳句の輪をもっともっと大きく広げれば、わずかなりとも救える命があるかもしれない。
俳句好きの空言妄説にすぎないと一笑に付されることも覚悟のうえで、私は至って真面目な提言をしたつもりではある。(せこぐち さとし)