「フォルテやピアノの表現に区別をつけるには?」あなたの演奏がつまらない理由を考えたことはありますか?
セカンドバイオリン首席・いちろーたです。アレクサンダーテクニーク教師を目指して勉強中であります。
アレクサンダーテクニークがなんなのか……ざっくり言うと、アレクサンダーテクニークとは、「やりたいこと」を「やれるようにする」ためのコツです。
ひとつたとえ話をします。自転車のブレーキを掛けながら一生懸命こいでたらどうなりますか?自転車を加速させたいのにブレーキかかってるから、加速がしにくいですね。逆に自転車を止めたくてブレーキかけているなら、漕いでいるからブレーキを効かせるのにものすごい力が必要になりますね。自転車を止めたければブレーキを掛けて、漕ぐのはヤメればいいです。自転車を加速させたければ、ブレーキを放して、漕いで加速することをすればいいんです。
「あなたのやりたい事は、どんなことですか?」
「フォルテやピアノの表現に区別をつけるには?」
ブレーキをかけながら自転車を漕ぐ話をオーケストラに当てはめて考えてみようと思ったんです。
自転車のブレーキをかけつつ、ペダルを漕ぐ。進むにしても止まるにしても無駄なことをやっています。でも、ブレーキの加減やペダルの漕ぎ具合が自転車の動きとどう関係するのか……それぞれのバランスがどんな影響を生むのか……を試行錯誤しているのだとしたら、あながち無駄でもないわけです。現象には理由がある、とはどこかの誰かの言葉ですが、行動には意図があるはずなのです。何のためにその行動を選択しているのか。そして、その選択は最適な選択なのか?……これがアレクサンダーテクニーク的なアプローチです。
「フォルテ/ピアノって何だろう?」をそれぞれの立場から考えてみたら?
ステージ上と客席では聞こえ方は違います。また、客席の最前列と最後列とでは聞こえ方に違いがあるのは想像しやすいのではないでしょうか。
楽器によって、演奏可能な音量の上限・下限はおそらく違うはずです。音色との兼ね合いが音量を制約する場合もありえます。
同じ種類の楽器だとしても、奏者の技量によって音量の上限・下限は変わってくることは十分に考えられます。
では、フォルテやピアノというものを表現するために、どんな工夫が可能でしょうか。
フォルテやピアノというのは、音量の大小だけなのでしょうか?
フォルテとはどんなことなのでしょうか。
ピアノとはどんな感じのことなんでしょうか。
フォルテは毎回同じフォルテなのでしょうか。
ピアノはつねにきまった音量・音色なのでしょうか。
そのフォルテはどんな楽器の組み合わせで、どんな表現になることが期待されているのでしょうか。
ピアノはどうでしょうか、ほかの箇所に記されたピアノとどう違うのでしょうか。
そして、それらの表現はどのお客様にも聞き分けが付きますか?
これらの繊細な表現を最前列や最後列のお客様にも届けようとしていますか?
このように考えて、改めて演奏に臨んでみることをおすすめします。
オーケストラを分断する《見えない壁》
ここでちょっと視点を変えます。オーケストラが持つ《見えない壁》について考えてみます。どんなことが思い浮かびますか?
オーケストラには《見えない壁》がいくつもあります。この《見えない壁》はさまざまな働きを持っています。その働きゆえにオーケストラの演奏が成立もするし、逆にうまくいかなくなってしまうことがあります。
《見えない壁》を自覚しよう!
オーケストラにあるいくつもの《見えない壁》……試しにいくつか挙げてみますね。正解はありません。みなさんも考えてみてください。
立場の違い……演奏者、観客(聴衆)、スタッフ
楽器の違い……弦楽器、木管楽器、金管楽器、打楽器、指揮者
席次・パートの違い……コンサートマスター、首席奏者、そうでない人びと
《見えない壁》の利点はなんだろう?
さて、あとはもはや蛇足なのですが《見えない壁》についてもう少し書いてみますね。ここで皆さんに試してほしいことがあります。
ふつう、《壁》という言葉からどんなことを思い浮かべますか?ベルリンの壁、バカの壁、断崖絶壁、妖怪ぬりかべ……あまりいい印象が浮かんでこないのではないでしょうか。
みなさんに試してほしいのは「壁が持つメリット(利点)を探してみよう」ということです。
「壁があるからこそ成り立つものは、なんでしょうか?」
《見えない壁》を自覚して、アンサンブルに活かそう
《見えない壁》がどんなチカラを持っているか。正解はありません。常に新しく探し出すことができることでしょう。新しく作り続けていくことは、音楽の本質にも通じます。次の音をどうするか……そのときに周りの奏者はどのように音をつくろうとしているか……こうしたことを思ってみるだけで、作曲家の声が楽譜から読み取れることもあります。
壁の効能を考えてみます。たとえば……となりの奏者が好き勝手に暴れまわらないのは、座席が用意されていて、それが壁となって、奏者としての自覚を呼び起こすからです。ひとりひとりの奏者にそのようなことが起きているわけです。壁は奏者自身が作り替えることができます。相手を無視することにも使えるし、出入り自由にするために壁を取り払ったり、ドアを付けたり、でも自分が自分であることを思い出すために境界線だけは残しておくかもしれませんね。
おまけ「練習と本番の違いってなんだろう?」
練習というのは、音を出す準備のことですよね。ひとつの演奏会を目指して練習(リハーサル)を重ねていくことは、大きな目で見れば、本番の演奏会を迎えるための盛大な実験を重ねていくことだともいえそうです。
音を出すときには、練習・本番の区別なく、つねに冒険が伴います。その意味で、演奏とはつねに実験・冒険なのだと思います。《音を出すまでが練習、音を出すときは本番》……私はそんなことを思いながら楽器と触れ合っています。
ちょっと変わったアプローチで書いてみました。練習を楽しく進める手助けになるといいなと願いつつ……