【芝①001】芝口
町番号:芝①001
町名:芝口 一~三丁目
読み方:しばぐち Shibaguchi
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1932(昭和7)年11月30日
冠称:なし
現町名:港区新橋一丁目、東新橋一丁目
概要:一丁目には元禄年間(1688~1704年)には火消役屋敷が置かれていた。以後上地となり、町屋が建てられたが、『備考』には芝口一丁目東側(町)、芝口一丁目西側(町)として、独立した1町のように記されている。芝口一丁目西側(町)は1704(宝永4)年、火消役屋敷が取り払われた跡地に、1707(宝永7)年、芝口門移建のため用地となった新橋川(芝口川)北岸の出雲町の一部が移転、さらに残っていた空地は御堀定浚(じょうざらい)と江戸橋川通、三拾間堀川通、築地川筋一円定浚の助成地になり、この3町をもって「芝口一丁目西側(町)」と称した(備考)。芝口一丁目東側(町)と二・三丁目は慶長年間(1596~1615年)、日比谷御門内から移転した町屋で当初は、「日比谷町二・三丁目」と称していた。二・三丁目は、1707(宝永7)年9月21日から「芝口町二・三丁目」と改称、後に「芝口」と呼ばれるようになった(備考)。町名は1707(宝永7)年、南方の札の辻から移建され、「日暮御門」と呼ばれた芝口門に因み、この頃にはここが芝の入口と考えられるようになった。1828(文政11)年の家数547軒、うち家持1・居付地主5・家主39・家守26・地借166・店借310(町方書上)。東海道(現第一京浜国道)沿いの町屋で、繁華な地であったと考えられている(港区史)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、芝口一丁目西側(町)を単に「芝口一丁目」と改称。芝口一丁目東側(町)は汐留町の一部となる。1872(明治5)年、またその両者を併せて芝口一丁目とした。1872(明治5)年の戸数454・人口2,038(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1908(明治41)年、世帯数425・人口2,333。1920(大正9)年、人口2,300。1924(大正13)年、1,725。1925(大正14)年、1,879。明治初年以後は新橋駅(現在の汐留駅)の駅前商店街として、明治末年現在の新橋駅開通以後は、都心の駅前商店街として賑わった。
1932(昭和7)年12月1日、帝都復興計画の一環により、新橋一~三丁目となり消滅。現行の新橋一丁目、東新橋一丁目のうち。
撮影場所:芝口一丁目
002源助町→