【芝①009】新桜田町
町番号:芝①009
町名:新桜田町
読み方:しんさくらだちょう Shin-Sakuradachō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1957(昭和32)年11月30日
冠称:1947(昭和22)年3月15日から「芝」
現町名:港区西新橋一丁目1、4~6番
概要:715(霊亀元)年から中世まで、付近一帯が「桜田郷」と呼ばれており、桜木は8,000余本を数えたという。1181(治承5)年、渋谷庄司重国が、霞山(現在の霞ヶ関)に霞山稲荷「桜田神社」を建立、後に太田道灌が1470(文明2)年にこれを新しく造営した。江戸時代に入り、幕府は霞山稲荷を1602(慶長7)年、赤坂溜池に移し、さらに1624(寛永元)年、麻布桜田町(現在の西麻布)に移された。このような歴史背景から、江戸時代には、桜田七ヶ町としてこの一帯の町名に、桜田備前町、桜田太左衛門町、桜田久保町等と「桜田」を冠せられた。1794(寛政6)年、類焼。当地は火除地となり、兼房町を加えた八ヶ町は南隣に移転した。
もとは大的場と馬場。文政6年厩が設けられ、維新後は一時、菜園となっていた。芝新銭座町、芝金杉川口町、芝湊町の住民を移して1872(明治5)年に起立(府志料、案内)。町名は桜田の地に新しくできた町の意であろう。同年の戸数79・人口282(府志料)。物産には籐細工、下駄があった。
1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1908(明治41)年の世帯数219・人口916(市勢調査)。明治期は小商店住宅が入り混じっていたが、昭和初期前後から外堀埋立地(現在の西新橋一丁目1番)を編入し、都心のビジネス街的な町況を強めていった。
1932(昭和7)年、帝都復興計画の一環により、一部が田村町一丁目に編入。戦前の世帯数320・人口約2,000。1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。
1957(昭和32)年12月1日、残余が芝田村町一丁目に編入となり消滅。町名が変われど、桜田郷の鎮守である桜田神社を氏神様としている。現行の西新橋一丁目1、4~6番のうち。
撮影場所:新桜田町