【芝①025】西久保城山町
町番号:芝①025
町名:西久保城山町
読み方:にしくぼしろやまちょう Nishikubo-Shiroyamachō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1977(昭和52)年8月31日(港区町名旧新対照表では1976(昭和51)年9月30日)
冠称:「西久保」、さらに1947(昭和22)年3月15日から「芝」
現町名:港区虎ノ門四丁目3番
概要:町名は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した武将熊谷次郎直実或いは太田道灌の砦跡と伝えられる城山があったことによる。『嘉永板切絵図』の葺手町の西方の路上に「城山」と見え、路上北側に土岐美濃守の屋敷地があった。『備考』の葺手町の項には、「里俗城山 右者当町後御砂取場上山之所熊谷次郎直実城跡之由ニ而葺手町西横町江戸見坂え往還ヲ一円ニ相唱申候」とある。また『江戸名所』には、「西窪土岐山城侯の藩邸の辺を云う土俗熊谷次郎直実の城跡といい伝うるは、誤なるべし。昔熊谷氏の人の居宅など有りし地ならんかし」とある。一説には太田道灌の城址とも伝える。城山の汎称は、葺手町南側の土取場から西方を称し、その範囲は汐見坂辺りに及んだ。古名は西之久保町。1657(明暦3)年の明暦の大火後、北条氏利屋敷となり消滅。その後、町民は1662(寛文2)年に多摩郡牟礼村(現・三鷹市牟礼)において新田開発を命じられ、後に「西久保村」と称した。それが現在の武蔵野市西久保である。
1872(明治5)年、2世紀余振りに成立。同年の戸数34・人口145(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1908(明治41)年の世帯数63・人口299。1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。閑静な住宅地であったが、戦後はオフィスビル等に変化した。
1977(昭和52)年9月1日、住居表示の実施により、虎ノ門四丁目3番に編入となり消滅(港区町名旧新対照表では1976(昭和51)年10月1日)。
撮影場所:西久保城山町