【芝①036】芝愛宕町
町番号:芝①036
町名:芝愛宕町 一~三丁目
読み方:しばあたごちょう Shiba-Atagochō
区分:町丁
起立:1870(明治3)年5月
廃止:存続 「愛宕」として
冠称:一・二丁目のみ、1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「芝」
現町名:港区愛宕一・二丁目、西新橋三丁目
概要:愛宕一帯は江戸時代には愛宕山を中心として、北端の武家地を除き殆どが寺院で占められていた。北から順に真福寺、長久院、真養院、玉蔵院、薬師寺、鏡照院、満蔵院、寿桂院、普賢院、金剛院、愛宕山参道を跨いで円福寺、吟窓(宗)院、考寿(光樹)院、伝叟(宗)院、清岸院と微小な寺院が櫛比し、そして青松寺、青龍寺と続いた。このうち真福寺、青松寺、青龍寺は現存し、考寿院、清岸院、伝叟院は愛宕内で移転存続している。また、表通りを「愛宕下広小路」、北の通りを「鎧小路」、南の通りを「切通」と呼んだ。
1870(明治3)年5月、愛宕山周辺の武家地、寺社地に芝愛宕町が起立される(後の一丁目のうちと推定)。由来は愛宕神社による。1872(明治5)年、愛宕山東側一帯の越後長岡藩牧野氏中屋敷、陸奥三春藩秋田氏上屋敷等の武家地跡、寺社地、新馬場跡を併せ、芝愛宕町一~三丁目となる。同年の戸数172・人口753(府志料)。愛宕山東麓の一・二丁目の境を桜川が流れる。
1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。1882(明治15)年、有志共立東京病院(後の東京慈恵会医院)が創立。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1891(明治24)年、東京慈恵医院医学校(後の東京慈恵会医科大学)が二丁目に創立。三丁目には芝区役所(1923(大正12)年まで)があった。
1932(昭和7)年12月1日、帝都復興計画の一環により、二丁目の一部と三丁目の一部が田村町五丁目に、二丁目の一部と三丁目の一部が田村町六丁目に編入される。1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。
住居表示の実施により、1965(昭和40)年7月1日には二丁目の残余が西新橋三丁目に、1978(昭和53)年1月1日には一丁目の一部が愛宕一丁目に、一丁目の一部と芝西久保広町の一部が愛宕二丁目となる(このとき「町」が省かれる)。
撮影場所:芝愛宕町一丁目