【芝①048】芝片門前(町)
町番号:芝①048
町名:芝片門前(町) 一・二丁目
読み方:しばかたもんぜん(ちょう) Shiba-Kata-Monzen(chō)
区分:町丁
起立:1598(慶長3)年
廃止:1971(昭和46)年12月31日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「芝」
現町名:港区芝大門二丁目1、8・9番、芝公園二丁目
概要:浄土宗増上寺(三縁山広度院)は真言宗光明寺として麹町貝塚に開創、のち改宗改称。1590(天正18)年、徳川家菩提寺となり、日比谷を経て、1598(慶長3)年当地に移転。門前起立の年月は不明であるが、幕府の許可制以前に自然発生した。初期寺院門前は当初から町方であった。増上寺移建に伴い境内、門前地ともに拝領した。町奉行支配の年月は不明。延宝年間(1673~1681年)頃、西側は増上寺地内で、東側のみの片側町であったため「芝片門前」と名付け、南北に分けて一・二丁目とした。1827(文政10)年の一丁目の総家数は82軒、うち家持1・家主10・地借16・店借55、二丁目の総家数85軒、うち家持5・家主10・地借13・店借57(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数142・人口568、物産は藍染があった(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1935(昭和10)年、片門前反対側の道路西側の桜川支流を埋め立て、暗渠化した大部分を編入。芝公園内東照宮から通り以北を一丁目、以南を二丁目とし、この結果、片門前は両側町となった。なおこの土地は元来桜川沿いが官有無番地から道路沿いの官有火除地となり、さらに1890(明治23)年に道路敷となった所で、1918(大正7)年に片門前有志数名の申請で、東京市が1920(大正9)年3月、443坪余の区域の占有を許可したことに始まるという(帝都復興区画整理誌)。1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。
1972(昭和47)年1月1日、住居表示の実施により、現行の芝大門二丁目1、8・9番、芝公園二丁目に編入となり消滅。
※町名について~『角川日本地名大辞典』や『港区町名旧新対照表』には「町」は付いていないが、Wikipediaの「港区の町名_(東京都)」、gooの古地図、『東京市芝區全圖 : 明治四十年一月調査』には付いている。
撮影場所:芝片門前(町)一丁目