【芝①060】芝田町
町番号:芝①060
町名:芝田町 一~九丁目
読み方:しばたまち Shiba-Tamachi
区分:町丁
起立:1606年(慶長11)年
廃止:1967(昭和42)年6月30日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「芝」
現町名:港区芝五丁目、三田三丁目、芝浦三・四丁目
概要:もとは荏原郡上高輪村のうち。田畑が町屋に変わり、東海道沿いの細長い町で、町名は田畑の地に起立した町の意。次第に町屋が起立し、1662(寛文2)年に町奉行支配となった。近辺には諸大名の蔵屋敷があり、四丁目には江戸初期以来の高札場があり、また1616(元和2)年には「日暮御門(ひぐらしごもん)」と呼ばれた芝口門が建設された。1710(宝永7)年、芝口門は現在の銀座八丁目に移転。また高札場も移転し、「元札の辻」の俗称が残った。1827(文政10)年、家数985軒、うち家持38・居付地主11・家主48・家守83・地借41・店借763(町方書上)。海側の薩摩屋敷では、勝海舟と西郷隆盛の会見が行われたといわれる。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、薩摩鹿児島藩、伊予松山藩、日向飫肥藩、紀伊和歌山藩、肥後熊本藩、上野沼田藩、豊後森藩の各町並抱屋敷及び丹波亀山藩松平氏下屋敷、幕臣邸地、浄土宗海見山智福寺・浄土真宗久遠山延立寺、八幡宮、浄土宗十却山成覚寺等の寺社地を合併。同年の戸数486・人口1,842、物産に髢(かもじ)、箱火鉢、煙草盆、金箔、傘(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1908(明治41)年の世帯数779・人口3,405。町内を品川~新橋間の馬車鉄道(のち路面電車へと変遷)が走った。北側に商店や住宅が残ったが、南側は工場等になり、南部ほど閑散であった。
1936(昭和11)年、帝都復興計画の一環により、一~四丁目、五丁目の一部が西芝浦一丁目、五丁目の一部、六~九丁目が二丁目の各一部に編入となる(『角川日本地名大辞典』では「1~4丁目の一部」とあるが間違い)。現在の芝浦三・四丁目の一部。1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。戦後は国道路上の自動車交通が盛んになり、南東側に修理工場、会社事務所、給油所等、北西側は機械工具商、日用品商もでき、田町駅付近は食堂等の多い都心的な駅前商店街を形成、次第にオフィスビルも増加した。
住居表示の実施により、一丁目から三丁目、四丁目の一部は1964(昭和39)年に現行の芝五丁目に、四丁目の一部と五丁目から九丁目は1967(昭和42)年7月1日に三田三丁目に編入となり消滅。いずれも第一京浜国道に面した部分。
撮影場所:芝田町四丁目