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江戸町巡り

【芝①086】三田小山町

2017.12.03 03:48

町番号:芝①086

町名:三田小山町

読み方:みたこやまちょう Mita-Koyamachō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1967(昭和42)年6月30日

冠称:「三田」、さらに1947(昭和22)年3月15日から「芝」

現町名:港区三田一丁目4、10・11の一部、5~9、12・13番

概要:1869(明治2)年、久保三田町三田久保町、三田龍源寺門前、三田当光寺門前を合併して新たに「三田小山町」とした。三田小山脇の窪地にあるのでそう呼ばれた。三田町分は「三田久保」、上高輪分は「久保(窪)三田」と呼ばれた。1662(寛文2)年、町域となり町奉行支配地となったが代官支配地も残された。『文政町方書上』によると、久保三田町は「当町起立の儀は、上高輪村石高のうちにて、小町につき芝伊皿子台町へ組み合い町用勤め申し候。もっとも、三田町分と入り組み候場所につき、三田町分は三田久保町と唱え、上高輪町分は久保三田と相唱え申し候。もちろん、久保と唱え候儀は、書留御座なく相分かりかね候えども、三田小山脇にて地窪の場所に御座候間、久保三田町と唱え候儀にもこれあるべきやに存じ奉り候。寛文二寅(1662)年中町御奉行渡辺大隅守様御勤役中町方御支配に仰せ付けられ、御代官所へは上高輪町と書き上げ仕り候。」とあり、三田久保町は「当町起立の儀は、往古一円に三田村にて当町に上高輪町地所の分にて、久保三田町と上下相唱え候町これあり、右町は大抵地窪の場所にこれあり候ゆえ、久保と相唱え候儀もこれあるべく候えども、当町は左にはこれなく地高の場に御座候えば、この辺り一円に久保と相唱え候ゆえ三田久保町と相唱え来たり申し候。もっとも、石高などは、三田町同様に御座候。町屋家作御免に願い奉り候節の年月ならびに御奉行様お名前など先年類焼の節、書留など焼失仕り相分かり申さず候」とある。「三田小山」の名は三田綱町三田一丁目、赤羽町の方面までの広い地域を称したのであったが、本町起立以降は当地のみに限られてしまったようだ。

1872(明治5)年、筑前秋月藩黒田氏上屋敷、大和郡山藩松平氏下屋敷等の武家地と日蓮宗常祐山円徳寺、同松蓮山長久寺、浄土真宗綱生山当光寺、浄土宗永昌山龍原寺等の寺社地を合併。同年の戸数47・人口137(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1908(明治41)年の世帯数534・人口2,160。当町には一時期、伊藤博文が居住していた。1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。

1967(昭和42)年7月1日、住居表示の実施により、三田一丁目4、10・11の一部、5~9、12・13番に編入となり消滅。

撮影場所:三田小山町

撮影地:港区三田一丁目11番48号(圓徳寺)

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