【芝①094】白金志田町
町番号:芝①094
町名:白金志田町
読み方:しろかねしだまち Shirokane-Shidamachi
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1968(昭和43)年12月31日
冠称:「白金」、さらに1947(昭和22)年3月15日から「芝」
現町名:港区高輪一丁目、白金一丁目
概要:応永年間(1394~1427年)にこの地を開いた柳下上総介(やぎしたかずさのすけ)が大量の銀(しろかね)を所有していたことから、「銀長者=白金長者」と呼ばれ、「白金」がそのまま地名になったとされている。「しろかね」と濁らないのが正式。『小田原衆所領役帳』では“白銀”と記されているが、読みはやはり「しろかね」。江戸時代は、豊島郡と荏原郡の境界線上にあったため、白金村は区画が定まらず入会地(共同耕作地)とされていた。
1872(明治5)年、もと幕府黒鍬組大縄屋敷その他の武家地を合併して起立。字名「志田」を採って町名とした説(案内)、維新後の荒廃で田を志したという説(港区史)、邸地のあった京極壱岐守の「壱」と隣接の麻布田島町の「田」を合わせて「壱田」とするところを口調の良い「志田」としたという説(画報)がある。里俗「魚籃坂下」というところなので、そのシタ町に文字を宛てたとも考えられる。
1872(明治5)年の戸数26・人口90(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。その際、北側の麻布田島町の一部(1~23、91~95番)と東側の三田松坂町の一部(41~44番)を合併。なお、芝区が成立した際、白金地区全域が一旦は芝区に所属するが、白金志田町と白金丹波町以外は荏原郡へ所属替えとなった。町名の由来は魚籃坂下の「下」の転等、諸説あるが不明。
1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1908(明治41)年の世帯数734・人口2,882、1925(大正14)年の世帯数912・人口4,395(市勢調査)。明治末から人家が増え、小工場が多くなった。町東部が戦災を受ける前には極度の過密居宅も見られた。1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。戦後町域の相当部分を南北に走る桜田通りに奪われ、「魚籃坂」といわれる東部には商店も多い。
住居表示の実施により、1967(昭和42)年7月1日に一部が高輪一丁目に、1969(昭和44)年1月1日には残余が白金一丁目に編入となり消滅。
撮影場所:白金志田町