【芝①096】白金猿町
町番号:芝①096
町名:白金猿町
読み方:しろかねさるまち Shirokane-Sarumachi
区分:町丁
起立:1651(慶安4)年
廃止:1968(昭和43)年12月31日
冠称:「白金」、さらに1947(昭和22)年3月15日から「芝」
現町名:港区高輪三丁目10~12番、白金台二丁目18~27番及び11~13、17番の各南辺
概要:もとは白金村のうち、増上寺領であった。午後4時を過ぎると辻切りや追剥ぎが出て、人の往来がなくなったので、1651(慶安4)年に「商人町屋にしたい」と増上寺を経て願い出て許可された。1713(正徳3)年から町奉行支配となった。町人百姓入り組みの所である(砂子)。町名の由来は、白金台町を「去る」という意味で「去り町」と里俗に唱えたものが、自然に「猿町」と文字を書き替えたと伝える説(町方書上)、昔東海道の要路で南北朝期の頃、新田義貞が西に向かう時、武運を祈って帝釈天を安置したことから「申町」、つまり「猿町」になった(了真寺伝)とする説がある。「去る」の言葉を忌んで、「えて町」ともいった(港区史)。化政期(1804~1830年)の家数89軒、うち地主15・家主7・店借67。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、白金猿町妙玄院門前(町)を合併。さらに1872(明治5)年、周防徳山藩毛利家下屋敷抱屋敷、肥前蓮池藩鍋島家下屋敷等の武家地・開墾地、妙玄院の寺地を合併。同年の戸数70・人口1,281(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。1879(明治12)年、東京府荏原郡大崎村の品川台町を合併し、71~111番地とする。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。その際、1879(明治12)年に合併したもと品川台町だった部分が荏原郡大崎村へ戻され、東京府荏原郡大崎村大字白金猿町となる。1908(明治41)年8月1日、大崎村が町制移行し、大崎町となり、東京府荏原郡大崎町大字白金猿町となる。1932(昭和7)年10月1日、荏原郡全域が東京市に編入となる。大崎町町域は東京府東京市品川区に編入となり、大字白金猿町は下大崎一丁目に編入となり消滅。
1943(昭和18)年7月1日、それぞれ東京都芝区、品川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、白金猿町は東京都港区に所属、大崎側は荏原区と合併した新制品川区の下大崎一丁目となる。
住居表示の実施により、芝白金猿町は1967(昭和42)年7月1日に一部が現行の高輪三丁目10~12番となり、1969(昭和44)年1月1日には残部が現行の白金台二丁目18~27番及び11~13、17番の各南辺を含む地域となり消滅。また、品川区下大崎一丁目側も1967(昭和42)年2月1日に東五反田一、四丁目となった。
撮影場所:白金猿町