【麻布①014】麻布東鳥居坂町
町番号:麻布①014
町名:麻布東鳥居坂町
読み方:あざぶひがしとりいざかちょう Azabu-Higashi-Toriizakachō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1967(昭和42)年6月30日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」
現町名:港区六本木五丁目
概要:江戸期は延宝期(1673~1681年)以降は幕末までずっと武家地であった。それ以前の様子は不明。延宝期には、町域南から鳥居丹波守、松平丹波守、有馬左衛門佐等の屋敷があったが、1723(享保8)年には旗本等の屋敷地に分割されていた。その後も小変化を繰り返し、幕末を迎える。江戸期には「式内社」という竹長稲荷の旧地であり、台地を「竹千代が丘」と呼んだという伝説もあるようだ。
1872(明治5)年、もと信濃松本藩松平氏中屋敷、肥前五島藩五嶋氏上屋敷等の武家地に起立。町名は鳥居坂上に位置することに因んだ麻布鳥居坂町による。鳥居氏の屋敷のあった地域が麻布東鳥居坂町となり、屋敷のなかった西側地域が麻布鳥居坂町となった。同年の戸数24・人口97(府志料)。なお、鳥居坂を境に両町が起立した理由は、大小区制の際に両町の境界で区が分割されたため。大小区制はその後すぐに廃止され、両町とも麻布区に所属することになったが合併することはなかった。
1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。明治30年代の町内は久邇宮他数氏が住む屋敷地で、堀口学校、市立麻布小学校、麻布尋常中学校、東洋英和学校等があった(画報)。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。戦後はフランス大使館、西ドイツ大使館が設置された。
1967(昭和42)年7月1日、住居表示の実施により、六本木五丁目に編入となり消滅。
撮影場所:麻布東鳥居坂町