【麻布①022】麻布網代町
町番号:麻布①022
町名:麻布網代町
読み方:あざぶあみしろちょう Azabu-Amishirochō
区分:町丁
起立:1732(享保17)年
廃止:1962(昭和37)年9月30日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」
現町名:港区麻布十番二・三丁目
概要:もともとは古川沿いの低湿地で、江戸時代に入り武家屋敷が出来て人が住むようになった。1723(享保8)年に麻布十番馬場の南にできた新網町二丁目代地は沼地等で、1732(享保17)年に町奉行に願い出て、その一部が南方の麻布坂下町西方に代地を得た二丁目代地と、その二丁目代地の代地との2ヶ所になったため、1723(享保8)年の代地は新網町二丁目代地の「網」と「代」の文字を採って「麻布網代町」と改称。したがって、読み方は「あじろ」ではなく「あみしろ」。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、今井寺町代地を合併。1872(明治5)年、もとの上之山藩邸を合併。同年の戸数71・人口272(府志料)。町の北側は寄席、演劇場、映画館等の建ち並ぶ十番商店街として、南部は麻布山元町にかけて三業地となり、料亭や待合等が大いに賑わった。
1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。
昭和30年代後半になりテレビの普及により映画産業が斜陽になり、さらに麻布十番を通る計画であった地下鉄日比谷線が商店街の反対で六本木に迂回したことにより一気に寂れてしまった(なお、Wikipediaによると「東京メトロ日比谷線が反対運動の結果、麻布十番駅を経由せずに六本木駅が設置されたと言う説があるが、関東大震災直後にまだ地下鉄が1本も開通していない頃、当時の東京市が計画した地下鉄路線網には恵比寿から六本木を経由して虎ノ門へのルート案が存在しており、戦後に帝都高速度交通営団がそれを踏襲しただけであるため、麻布十番付近でルート変更をした事実は確認されていない」とあり、麻布網代町等の住民が地下鉄敷設を反対したというのは俗説ではないかとも言われている)。
1962(昭和37)年10月1日、麻布地区の地番整理により、現行の麻布十番二丁目の大部分、三丁目の一部に編入され消滅。
撮影場所:麻布網代町