桜は 心で観るもの
Facebook森井 啓二さん投稿記事
桜は 心で観るもの「心静かに心深く 沈黙と至福の中で行動すると 次第に形がないものを感じるようになり 物質では表現されないものを 認識できるようになる。
やがて、それらを 形あるものの中にも 見ることが出来るようになっていく。」
光の魂たち 山岳編序章より
朝のお花見散歩で動画撮りました。 音楽はMARTHより
Facebook北條 毅 さん投稿記事
いまの時期、多くの人が揺れてるね。そして揺れてる人のほとんどがいろんな情報を見すぎて不安になったり、自信がなくなったりしてそわそわざわざわと揺れている。
そして、その落ち着かない状態のまま動かなきゃいけないような強迫観念に追い立てられㅤ
誰かの言うがままに盲目的に猛進してみたり逆に、目的地もわからないままふらふら彷徨い歩いたりしている。
不安を煽られたりむやみにざわざわするようなものをなんでわざわざ気にするの?
何度も言っているようにテレビなんか捨ててしまおう。
不安でいっぱいになるネットの記事なんかわざわざ見に行かなくていい。
世界の誰かのために何かをしようとしたってㅤ不安と恐れにまみれたままその渦中に飛び込んだらその負のエネルギーを増幅させるだけ。ㅤ
テレビなんて捨ててしまおう。スマホなんて切って置いておこう。ㅤ
そんなことよりもまず、いまの自分を感じること。ㅤ
自分の身の回りの世界をそのまま、静かに感じてみること。
どこかの誰かの言っているどんな正しそうなことを気にするよりいまの自分と、自分がいる世界とそこにつながり、そこからすべてを始めていこう。
どんなに世界のためを思っても当の自分がボロボロの栄養失調だったり彷徨い歩くゾンビみたいな状態だったら誰も助けられ何の力にもなれやしない。
まずは自分とつながること。そして自分の可能性を開くこと。
そこから始めることこそが結果として、最大の社会貢献になっていく。ㅤ
それを信じられるかどうかそして、それを実践できるかどうか それだけなんだよ。
「これは白だ!」ㅤと誰かが言うと「そうか、白なんだ」ㅤと素直な人たちは、白だと信じる。ㅤ
そこに、どこかから「白なんて嘘だ!それは黒だ!」と叫ぶ声が聞こえるとㅤ白だと信じていたうちの何割かと白だということに懐疑的だったうちの多くが「やっぱり白なんて嘘だった!黒が本当だったんだ!」ㅤと憤りとともに、黒を信じ白だと叫んだ人と、それを信じる人達を敵視するようになる。
白なのか、それとも黒なのかそのどちらなのかに議論は熱を帯びていくのだけれどㅤけれどそれ、実は白でも黒でもなかったりするんだよね。
自分の人生を振り返ってみて「自分は絶対に正しかった」と言えることや「自分は絶対に間違っていた」と言えることって果たしてどれぐらいあるだろう。
これまでの身近な他人を見ていて「あれは絶対に正しかった」と言えることや「あれは絶対に間違っていた」と言えることって果たしてどれほどあるだろう。
右側から見た見え方と左側から見た見え方が違うことなんて僕らは体験的によくわかっているはずなのにこの世界は多くの関係性や様々な思惑が入り組んでいる
絶対的な答えなんてない複雑で多面的なものだっていうことを僕らは、日々感じながら
過ごしているはずなのにㅤ
それでも、ふとした瞬間に物事を白か黒か2種類に単純化した見方ですべてを判断しようとしてしまう。
でも、白に見えているものも黒に見えているものも白っぽく、黒っぽくそれぞれ見えている理由がある。ㅤ
それぞれ見えるようになった背景がある。ㅤ
目の前の出来事だけで判断しようとしないこと。ㅤ
出来事や情報に触れた瞬間に沸き上がる強い怒りや悲しみそれらのままに動かないこと。
感情がある、それは当然のことだけれど
だからこそ、「自分の感情の奴隷」にならないこと。ㅤ「感情を超える」こと。
感情という、そのあふれんばかりの生命力を抑えたり、我慢したりするのではなくㅤ
その感情があることを認め、受け入れたうえでㅤその感情を、超えること。
感情の、その奥にある「純粋な想い」から、道を選ぶこと。
そうしていけたらいいね。
きっとその先にこそまだ見ぬ、新たな可能性が 新たな未来が 開かれていくのだと思うから。