【麻布①027】麻布三軒家町
町番号:麻布①027
町名:麻布三軒家町
読み方:あざぶさんげんやちょう Azabu-Sangenyachō
区分:町丁
起立:1668(寛文8)年
廃止:1966(昭和41)年12月31日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」
現町名:港区元麻布二・三丁目、西麻布三丁目
概要:古くは阿佐布村のうち。町名は町内に家が3軒あったことによる。実際、町屋ができ、3軒から徐々に増えていったのは、町を南北に貫く現・テレビ朝日通りの西側(西麻布側)尾根伝いである。延宝期(1673~1681年)の図に「麻布三軒家百姓町屋」と「麻布三軒家天徳寺領町屋」が並んでおり、道路の東側と、西側の谷に向かっては畑であったという。
麻布三軒家町のうち、テレビ朝日通り西側には「裏町」の俗称があった。1668(寛文8)年、初めて家作改めが行われ、1713(正徳3)年に町奉行支配となる。家作改めは新地奉行の掛かりであったが、1731(享保16)年に廃止となる。1828(文政11)年の家数123軒、うち地主20(うち7軒他住居)・家主8・地借3・店借99。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、俗に「大隅山」という賄方組屋敷(寺地・信濃龍岡藩邸ともいう)を合併。同年の戸数138・人口500(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。1908(明治41)年の世帯141・人口672。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。
住居表示の実施により、1966(昭和41)年7月1日に東南部が元麻布二丁目1・2、4番と3、5番の一部となり(その後、一部が西麻布に変更)、東北部が元麻布三丁目4番南部に、1967(昭和42)年1月1日には西部が西麻布三丁目6番南半、8番東半(その後、一部が元麻布に変更)に編入となり消滅。
撮影場所:麻布三軒家町