【麻布①036】麻布竹谷町
町番号:麻布①036
町名:麻布竹谷町
読み方:あざぶたけやちょう Azabu-Takeyachō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1966(昭和41)年3月31日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」
現町名:港区南麻布一丁目1~4、9~26、27番の一部、三丁目3番
概要:明暦年間(1655~1658年)に仙台伊達侯(松平陸奥守)の下屋敷が町域全体に設けられ、1723(享保8)~1725(享保10)年に、その東部1/3ほどが旗本等の屋敷となり、幕末までその状態が続いた。
1872(明治5)年、仙台藩邸と新屋敷を合併して起立(府志料)。町名の由来は、古来この一帯は里俗として「竹ヶ谷」と呼んだことによる。他に「ねくるみ村」、鶯の名所として「巣立野」とも呼ばれた。「うぐいすを たづねたづねて 阿左布まで」という松尾芭蕉の句は、この辺りのことを指しているようだ。同年の戸数4・人口28(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。1908(明治41)年の戸数418・人口1,687。明治末頃になっても人家は疎らで、町域の大部分は野原であり、植木商の仙華園が見物客を集めていた。1941(昭和16)年発行の『麻布區史』では、仙華園の活況を以下のように伝えている。「六番地の仙華園は、明治の中期舊伊達侯下屋敷の一部に開いたものであるが、その栽培の盆栽花卉類は明治から大正へかけて東部に鳴り響いたものである」「仙華園は竹谷町に在って盆栽花卉の栽培を主として、牡丹・梅・朝顔・菊・萩等百花の花壇があって四季夫々都人の杖を曳くものが多かった」。
その後、町北の大部分が松方邸となり、町東にも人家が増加したが、町西は昭和初期まで空き地であった。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。東部には大韓民国代表部、ドミニカ大使館が設置され、中小の高級住宅が増えた。西部は小工場、商店が新設された。
1966(昭和41)年4月1日、住居表示の実施により、南麻布一丁目1~4、9~26、27番の一部、三丁目3番に編入となり消滅。町内には麻布黒美水温泉竹の湯がある。
撮影場所:麻布竹谷町