【麻布①038】麻布田島町
町番号:麻布①038
町名:麻布田島町
読み方:あざぶたじまちょう Azabu-Tajimachō
区分:町丁
起立:1700(元禄13)年7月
廃止:1968(昭和43)年12月31日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」
現町名:港区白金一丁目3~6番、三丁目2・3、7番、五丁目4番の一部
概要:もとは阿左布村(『沿革図書』は白金村)の代官支配で「新堀向」と称していた。1700(元禄13)年7月から1717(享保2)年3月までに幕府の諸役83人に支給され、その後、三田亀塚からの代地2ヶ所と西久保天徳寺領屋敷3ヶ所を併せ、麻布田島町が起立。町名は田の中で島のような所であったためとする説(麻布区史)がある。
1713(正徳3)年、町奉行支配となる。里俗として西側の小さな町を「上町」、東部の大きな町を「下町」又は「箒屋敷」と称した。なお、当時は北隣の後の新広尾町一帯が川縁の湿地で葦が覆っていたため、四の橋は麻布田島町から架かっていた。1828(文政11)年の家数96軒、うち家持5・家主6・地借14・店借71。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、麻布永松町を合併。同年の戸数83・人口254、物産は漉返紙(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。その際、一部を白金志田町に編入。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。1908(明治41)年の世帯186・人口816。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。
1969(昭和44)年1月1日、住居表示の実施により、現行の白金一丁目3~6番、三丁目2・3、7番、五丁目4番の一部に編入となり消滅。
撮影場所:麻布田島町