【麻布①039】麻布広尾町
町番号:麻布①039
読み方:あざぶひろおちょう Azabu-Hiroochō
区分:町丁
町名:麻布広尾町
起立:1664(寛文4)年又は1668(寛文8)年
廃止:1966(昭和41)年3月31日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」
現町名:港区南麻布一~五丁目、麻布十番四丁目、三田五丁目、白金一、三、五丁目、渋谷区恵比寿一・二丁目、広尾一、五丁目、東三丁目、恵比寿南一~三丁目、恵比寿西一丁目
概要:もとは阿佐布村の小名「樋籠(ひろう)」の地。1664(寛文4)年又は1668(寛文8)年、家作改めがあり、1713(正徳3)年から町奉行支配となる。町名は町奉行支配となった頃から「麻布広尾町」とした。当初、家作改めは新地奉行の係であったが、1719(享保4)年から町奉行の係となる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数75軒、地主18(うち4他住居)・家守3・地借2・店借52(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、備中足守藩木下氏上屋敷、豊後府内藩松平氏下屋敷等の武家地と広尾神社社地を合併。同年の戸数116・人口419(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。1879(明治12)年5月1日、麻布新笄町を合併。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。その際、一部が南豊島郡渋谷村大字麻布広尾町となる。1891(明治24)年、渋谷上広尾町の一部と下渋谷村字笄開谷(こうがいだに)の一部を合併。明治30年代の町内にはベルギー大使館が置かれた。1908(明治41)年の世帯数1,604・人口4,615。他に住民の開墾により開かれた飛地の一部が1911(明治44)年に新広尾町一~三丁目として独立した。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。
最後まで残った町域は、1966(昭和41)年4月1日、住居表示の実施により、現行の南麻布四・五丁目となり消滅。なお、渋谷村大字麻布広尾町は、1909(明治42)年1月1日に町制施行した豊多摩郡渋谷町の大字となり、1928(昭和3)年に下通一~五丁目、元広尾町の各一部となり消滅。
麻布広尾町(南豊島)も参照のこと。
撮影場所:麻布広尾町