【麻布①044】麻布薪河岸
2017.12.03 14:29
町番号:麻布①044
町名:麻布薪河岸
読み方:あざぶまきがし Azabu-Maki-gashi
区分:俗称→河岸(町丁扱い)
起立:江戸期
廃止:1962(昭和37)年9月30日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」
現町名:港区東麻布三丁目
概要:芝新門前町の西の方の河岸地の俗称で江戸図には見えない。『備考』の新堀端芝御霊屋御掃除屋敷代地の項に「東之方、材木薪屋土屋、右三商売人拝借地物揚地」とあり、『画報』に「薪河岸は直ちにその(新門前河岸)西の河岸地に連る河岸にして、いわゆる堀留に沿えり」とあるとおり、1698(元禄11)年、材木屋、薪屋、土屋の3商人が普請奉行に願い出てこの地を拝借、薪置場として使われていたので「麻布薪河岸」と呼ばれた。1755(宝暦5)年、許可を得て町内の往還に薪を積み置いたため(町方書上)ともいわれる。
なお、河岸が町丁と同等に扱われるようになったのは明治維新後だが、実際は近隣町丁の一部という扱いになっており、帳簿には河岸名だけが書かれていた。恐らく正式な起立は1878(明治11)年11月2日であろう。
江戸期の麻布新綱町一丁目代地と飯倉新町の辺り。『明治29年麻布区全図』は、麻布新網町一丁目の一之橋の下手に「薪河岸」と記載。現行の東麻布三丁目のうち。
1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。
1962(昭和37)年10月1日、麻布地区の地番整理により、東麻布三丁目に編入となり消滅。
撮影場所:麻布薪河岸