親業卒業報告
嬉しいのか、悲しいのか、感慨深いのか、
気持ちは色々とミックスしているのですが、
本日2022年3月31日で、
27年間ほどに渡る親業を全面的に卒業です!!
おつかれさまー!私〜。
下の息子が明日から社会人。
上のお姉ちゃんは、3年前に社会人になり、私の子と思えないくらい真面目にしっかり働いて
る。家も1年前に出て行った。
だから、息子が社会人になるということは、
2人の子を持つ親としては、とりあえずの役目は全部終了なのです。
彼はこれからは、
「かあさん、金ちょーだい」ということもなく、
むしろ私にお小遣いをくれたり、ご馳走してくれたり、
花束を買ってくれたり、するんやろかー!!
するんやろなー! !! してよねー!
わーい。
私(お母さん)と旦那(お父さん)の出会いは大学のゼミ。
毎年の新歓コンパでは、急性アルコール中毒者が出て、救急車を呼ぶような、昭和のイケイケ
めちゃくちゃを代表するようなゼミだった。
私たちは、そのまま大人になり、社会にでて、
そのタフなめちゃくちゃさは、ほとんどなくならないまま生きてきた。
そんな2人が親だったから、子供たちは大変だったはず。
祖父母たちは、いつも、
「ワガママな親たちに、子供たちがよく文句も言わず、ついて行ってる」
と言っていた。
夏休みのバリ島の帰り、
帰国便が午前中の日本戻りだから、時間がもったいないと、ベビーカーを押しながら、
成田から直行でディズニーランド。そのまま閉園時間まで遊ぶ。
そういうのが、普通な親の私たち。
スキーで、まだボーゲンもままならない子供たちを、いきなり上級者コースに連れて行って、
泣きながら急斜面を降りてくるのを見ていたり(見かねた見知らぬ方が、板が取れて、四苦八
苦する子供たちを助けてくれてた)あ、これは、お母さんである私1人で子供たちをスキーに
連れて行ってた。怖〜いお母さん。子供たちはスキーが嫌いになった。
海に行けば、美しい、まだ見ぬ海岸を求めて、次々、移動しては永遠と潜り続ける両親に、
「もう勘弁してほしい。私たちはホテルのプールで充分なので、お父さんお母さんたちだけ
で、海を楽しみに行ってきて下さい」とお願いした子供たち。
お父さんがロンドン駐在になった時、
中学生と高校生だった子供たちは、英語が全く使えないまま、イギリスの現地校に行くことに。
普通は、もうこの年になったら、子供は行かないし、お父さんも単身赴任ということが多い
らしい。
でも、私も旦那も家族で行きたかった。
家族でイギリスに住んでみたかった。
私たちのやりたいことに、
ひっぱりまわしてたなぁ。。
ついてきてくれて、ありがとう。
甘ったれで、弱っちかった息子は、こうして運命に流され、
あれよあれよという間に、イギリスの学校で5年。
結局、最後は1人でイギリスに残らざるを得なくて、ハリーポッターみたいな、ボーディン
グスクール暮らしになり、学校が休暇の時は一人暮らしをしていた。
運命が、彼をだいぶ逞しく育ててくれた。 ありがたい。
イギリスに家族でまだ住んでいる時、
お父さんから見て、息子には「もっと勉強してほしい」と思ったらしく、
それを伝え、監視する役として、旦那は、母である私を指名してきた。
「あいつに、それを伝えるのは君の役目だ」と言ってきた。
忘れもしない、明日はアウシュビッツを見に行くという日、
アウシュビッツ近くのクラクフという街の地下にあるお店で。お酒を飲みながら。
私はひと言、「絶対いや」と言った。
「勉強しなさい」という言葉は、親業の中で使ったことがない。
「夏休みの宿題をやったほうがいいよ」とは、言ってたな。
9月1日に、宿題が終わっていない息子だった。 笑
少々成績が悪かろうが、そんなの大した事なくて、
とにかく、なにより
「生きるチカラ」を身につけてもらいたかった。
ひとりでもなんとかして生きて行くチカラ。
そして、楽観的な人間になって欲しかった。
自分は「運がついてる」って、たとえどんな状況になっても思える人。
こんなに色々と書く気は全くなかったのに、
思い出したらいろいろ次々出てくるもんだなぁ。
息子は、小学生の頃から、「大人になりたくない」って、いつも言っていた。
働きすぎてる父親を見て、そういう言葉が自然に出てきたんだと思う。
その息子が、大人になる前の、最後のカウントダウンが、
かわいそうにコロナ禍に見舞われた。
彼が、やりたくて楽しみにしていたことが、どれほど吹っ飛んでしまったことだろう。
精神的ストレスからなのか、蕁麻疹が出たり、中耳炎になったり、吹き出物が顔中にできてい
た。(弱っちぃぜーー)
でも、
母である私にとっては、
このコロナ禍が、私たち親子の卒業前の’最後の語らい’を増やしてくれたと思っている。
2021年4月から、
息子と共に取り組んだ、YouTubeの『歌舞伎町クラス』。
歌舞伎町駆け込み寺で、「たった1人を救う」を
モットーに、20年間、人を救い続けてきた玄秀盛さん。
息子に会って、感じてもらいたい人の1人だった。
そしてもう一つ、息子と取り組んだのが、
ドキュメンタリー映画の制作。
私は、自分が2年間近くやっている動画配信サイトの番組が100回放送を迎えると言うこと
で、何かそのための企画をやりたくて、
視聴してくれている皆さんに、「皆でミュージカル映画を撮る?」とか言っていた。
息子は息子で、入社前の学生期間に、会社から課せられた自由研究課題があり、
何かやらなければいけない状況だった。
たまたまの流れで「映画を撮ります!」と言ってしまった息子。
一緒にやったらお互いに助かるよね??
と、息子は私の番組にも出て、「演出をやりまーす」と宣言。
っていうか、息子は、母の誘いに、今、乗っからないと、自分の自由課題をやらないまま、
入社式を迎えてしまうと言うことを感じたのだと思う。
昔の夏休みの宿題みたいに。
ミュージカル案は、早々にあきらめ、(時間も、人も、お金も、無理・・・・)
いろんな人を取材してそれをオムニバス形式のドキュメンタリーにしよう!と、
話はまとまった。
けれど、企画をすすめて行くうちに、1番の赤裸々なドキュメンタリーは、
その人たちを訪ねる母子の旅の様子じゃないかと言う話になった。
で、
出来上がった映画のタイトルは、
『赤裸々ドライブウェイ 〜エールと旅する親子の10日間』
さぁ、
そして、
息子の就職直前ギリギリの3月末、
「このままだとJALのマイルが失効する!もったいない!」という話の流れから、
奇跡的に、まるで前々から計画していたかのような家族4人水入らずの旅に行けた。
私が、「行きたい。行きたい」と昔から思っていた、
屋久島!
2泊3日の旅の最終日、屋久島のハイライトとも言える縄文杉に
会いに行くことが叶ったが、
私たち家族の親子卒業旅行に相応しいハードなものになった。
悪い条件が重なり、縄文杉を目指すために通常使用するトロッコ道を歩くルートの入り口まで
連れて行ってくれるバスの運行がなく、
白谷雲水峡を越えて向かうという別ルートから縄文杉を目指すことに。
距離34キロ。
朝6時15分に出発して、休憩をほぼとることなく、16時45分まで歩き続けた。
※これが↓その日の歩数計
「健脚でも、相当キツいですよ。リタイア率も高い」と専門家に言われたとおり、、
いやぁ、きつかった。
子供たち2人は、一切泣き言を言うこともなく、
(泣き言のひとつも吐きたくなるコースなんだよっ。😭)
息子は、私たちの朝食と昼食8食分を担ぎ、黙々と1番前をガイドさんのように歩き続けた。
娘もタフだったなぁ、、
本当に子供たちがもう大丈夫なんだなと思った旅だった。
と言うことで親業、卒業でありまーす。
ここまで育ってくれた子供たちに感謝。
そして、育ててくれたおじいちゃん、おばあちゃん、先生、友達、、、皆さまに感謝。
ありがとうございました。
少しは、何か社会の役にたつこともできるようになっていくんじゃないかなぁぁ。。
でもまぁ、無理することなく、日々の小さなことにも幸せを感じ、マイペースでね・・・
※サクッと、書くつもりが、、想いが出てきちゃって、だらだら〜と長くなっちゃったーー
屋久島の話は、せっかくだからまたしたいです♪
ここまでお付き合いいただき、ありがとう。
まだまだ子育て中の皆さま、、、卒業はあっと言う間です!!
2度と戻らない愛しい日々をどうか楽しんで。