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Boa Tarde From Sao Paulo

マルコを訪ねて☆アルゼンチン・ブエノスアイレスの旅(前編)

2011.08.15 20:17

子供の頃、「外国」という場所には自分の生活と全く違う文化や言葉があるのだということを知ったのは幼稚園に行く前にかかさず見ていたアニメ「母を訪ねて三千里」

子供ながらに異国の地への興味や憧れを初めて抱いたということもあって「母を訪ねて三千里」のマルコがイタリアのジェノバから出稼ぎに旅立ったお母さんを探し求めて旅をした感動のストーリーやシーンの数々は未だに鮮明と憶えていて「マルコが紆余曲折してお母さんを見つけ出した異国の地にいつか行ってみたい!」という子供の頃からの夢が…

遂に叶って来ちゃいました!マルコのアルゼンチン・ブエノスアイレス

人口のほとんどがヨーロッパ系移民で占められているブエノスアイレス。かつてヨーロッパを旅だって肥沃な土地での裕福な生活を夢見た移民たちは南米にありながらヨーロッパらしくありたいと願って首都ブエノスアイレスをヨーロッパ風の街並みに築き上げてきたそうです。街の中心部にある国会議事堂↑や大統領府(通称:ピンクハウス)↓

そして1810年5月にスペインからの独立を宣言した

「5月革命」を記念して造られた広場「Plaza de Mayo」(5月広場)

白い塔はブエノスアイレスで一番古いモニュメントと言われ中にはアルゼンチン全土から持ち寄られた土が収められているそうです。

こちらはミラノのスカラ座、パリのオペラ座と合わせて世界三大劇場となる「Teatro Colon」(コロン劇場)

立ち見も含めると一度に4000人もの観客を収納することができるというコロン劇場。1階の椅子席と6階までの観客席があってその大きさとゴージャスな作りに圧倒

かつてはヨーロッパで話題になったオペラは1ケ月も経たないうちにここで上映されていたそう。

シャンデリアやステンドグラスなどの装飾品の数々は

パリなどその当時の最高級品がヨーロッパから持ち込まれたものだそうですが

こちらの部屋はアルゼンチン独自の芸術品で装飾されていてスペインからの独立後、多くのヨーロッパ人を招待してアルゼンチンの富と権力を見せつけたり新アルゼンチンを作るために財閥や政治の重鎮たちが利用していた部屋だそうです。

劇場内ガイドツアーで1時間、豪華な舞台裏の数々をたっぷり堪能。この日はたまたま子供向けのミュージカルが開催されるということで地元のお子様たちがちょっとおめかしをして劇を見に来ていました。みんなとっても可愛い

ところでブエノスアイレスのダウンタウン。同じ南米サンパウロに比べてとても清潔&安全な雰囲気。そしてスペイン語で「ブエノス=良い」、「アイレス=空気」というだけあって空気がとっても綺麗で澄んでいて気持ちが良いのです。オベリスク↓を中心として整備されている道も片道7車線でとっ~ても広々。

観光客も街を歩く人のほとんどがヨーロッパ系の人たち。それ以外はペルーやパラグアイ、ウルグアイなどのいわゆる私たち日本人の祖先といわれている人たち。アフリカ系の移民や日系人の多く住むサンパウロとは何だかとっても違った雰囲気をもつ街でした。

今回移動手段は徒歩やこちらの地下鉄「Subute」(スブテ)を活用。

一回乗車で行く先に関係なく1人1.10ペソ(約30円)。地下鉄もとても清潔で安全です。

車両はとてもレトロ~な雰囲気!まるで「博物館の展示品」級の古さなのに物凄く綺麗。(ついつい「サンパウロだったらあり得ない…」と悲観的になってしまう悲しい私)

東京に地下鉄を作ろうと計画していた日本から当時視察団が派遣されて銀座線が完成したというこのスブテ。

ドアだって手動でこの女性の車掌さんが開けてくれました古いものと新しいものがうまく両立できているのが素敵だな~と。

お食事は世界一美味しいといわれる「アルゼンチンビーフ」を堪能はっきり言って全く肉が得意でない私が「美味しい」と思う程赤みでさっぱりしていてそして柔らか~いお肉でした。今回行ったレストランはこちら→〝cabana las lilas"

旅の後半はあのマルコが初めてブエノスアイレスの地を踏んだ、そしてアルゼンチンタンゴの発祥の地でもある「ボカ地区」からスタートします次回もどうぞお楽しみに~おまけ

預け先のマイラさんから戻ってシャワーも浴びてすっかりお疲れかと思いきやタオル遊びに無我夢中の姫。タオルを取られまいと只今必死の抵抗を見せておりますどうやら心配ご無用だったようですランキングに参加しています↓よろしければクリックを是非お願いします


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