イラストレーターを名乗らない理由
すごくよく聞かれるのでここに記します。(2022.4更新)(2025.12追記)
そもそもこれを決めたのはもう随分前のことで、今は時代が大きく違うので肩書きに意味がなくなってきているようにも思っていますし、そもそもその肩書きの意味合いが変わってきています。ただあえて言うなら下記の様な9つの理由です。(思い出した時に追記していて、前後で矛盾があるかもしれません。すみません。)
1.インターネットでの検索にて誤解
過去に僕のことをインターネットで「牛木」「イラスト」で検索した結果、僕よりもはるかに有名な漫画家の牛木さんの画像が出てきて誤解をされたことがあります。
出身も年齢も一緒で確かに誤解に納得でした。
と言うこともあり「イラスト」「イラストレーター」と言いう検索をできるだけされないようにしたかったと言うことが一つの理由です。今では検索エンジンも優れていて僕に興味がある人は誰かを介して繋がっていたりするので僕の方が出てくるかと思います。
2.イラストレーターは「職業で商品は絵柄」でアーティストは「生き方で商品は自身」
イラストレーターはほとんどの場合一つの絵柄を高めていき、それがシンボルとなり価値を上げていき絵柄本位の活動になるかと思います。一方、アーティストはこれという一つの絵柄を持たずその人自身の活動が作品となっていくという印象があります。
僕もその時々のスタイルをいくつか持って活動をしてますし、絵柄ではなく僕自身が表に出ていくことにあまり躊躇はありません。
(そのスタイルはキャラクターデザインという枠から外れません。)
それにイラストレーターは職業でありアーティストって生き方って印象があります。つまりはやはり僕自身の生き方に責任を持って作品なりお仕事なりを制作しているのでアーティストで良いのだと思っています。生き方に責任を持つというのは何が正しいのか何が正義なのか、どんなメッセージを伝えたいのか、そういうルールを持っていてそれに反しない活動なんだと思います。
3.仕事のベクトル
以前は年に2、3回お仕事をもらえれば良いというような、世の中に全然こびないプロレスラーや怪人の絵なのどをコロコロ変えながら活動をしていたので、イラストと名乗ると損という部分がありました。僕がやっているのはアート活動だと謳えば、アートっぽいお仕事がくる。例えば、壁画制作やライブペインティング、アートの人に頼んでいることがブランディングになるようなお仕事。という理由でやっていることは変わらないけどアートなのかイラストなのか自分の主張で自分に会った仕事のベクトルが選べたということも理由の一つです。
しかし今(2022)やイラストもアートの仲間入りしている雰囲気なので、この話においてはどっちを名乗ろうが関係ないと思います。むしろイラスト風をアナログで描くことが逆にアートっぽい雰囲気。「イラストがアートのわけがない」がよりイラストをアートにしている気がします。例えばマルセル・デュシャンは便器をアートにしたように。
4.イラスト=安いというイメージ
このイメージは特に古い人に未だにある気がします。
もはやイラストレーターはデジタルを駆使し色や形や構図などはもちろん基本的印刷技術や様々な媒体への理解など技術面で高いスペックを必要とし、ターゲットやクライアントの意向など高いコミュニケーション能力を発揮しないといけない職業です。さらにはインフルエンサーとしても成立していてプロモーション媒体としても価値があります。
従来の単に言われた通り絵を描くお仕事ではないのにやはり業界では安いイメージは根強い気がします。ということもあり僕は自分へのイラストというイメージ付は避けたいです。
特に雑誌がその安いイメージを作り出していると20年前に聞きました。なので近年、雑誌文化の衰退とともにそのイメージも徐々に変わってくる気がします。僕は変えていこうとしていますし。ちなみに雑誌文化の衰退を望んでいる訳では一切ございません。
5.キャラクターのタレント化
イラストといえばキャラクターイラストという時代がありました。自分の作ったオリジナルのキャラクターをイラストのお仕事をやるたびに出現させるやり方です。「スタイル」と何が違うのかというと、きっとその境界線は曖昧でほとんど同じです。ただスタイルに於いて人物絵のルールがとても厳密で線の太さから目の描き方色合いに至るまで最初にルールで決めてしまうとスタイルというより「キャラクター」になると思っています。そのキャラクターを広告など様々な媒体に出現させ知名度を上げていくというやり方がいわゆるキャラクターのタレント化です。
イラストレーターとは絵で勝負するのではなく、これ↑をやる職業というイメージが僕が20代の時に感じたイラストレーター像です。これに僕は少し納得がいかなかった。しかし今は必ずしもそんな人ばかりではないと思ってます。様々なイラストレーターさんがいてそれぞれのジャンルで活躍できているのかなと思ってます。
6.何になりたいか
職業というのは自分が目指すものを公表していくべきだと思っています。僕はイラストレーターになりたいわけではなく、活動にコンセプトのあるモノ作りをしたいと思っています。
僕がかつて憧れいた先輩方の肩書きは、例え世間的からイラストを描いている様に見えても全員イラストレーターではありませんでした。(田中秀幸さん、ヒロ杉山さん、水野健一郎さん、etc.)
ただ誤解を招くことは多々あります。僕の場合は僕のことをどの様に発表したいのかに委ねています。絶対に肩書をアーティスト にしてくださいということはありません。半分くらいは僕がイラストレーターだと名乗ってくれた方がいい案件というものがありますので、その場合は従っています。
7.デザインしている
僕はフリーになる前はデザイナーをしていたこともある。webサイトのデザインやアプリのUIデザイン、ゲームのグラフィックデザインも。僕の今の普段のお仕事はイラストを描いているのではなく感覚としてはキャラクターをデザインしている感覚に近いし、できるだけキャラクターデザインという名目でお見積もりを出させていただいております。そもそもグラフィックデザインとイラストの違いはなんだろうかと思ったりもします。
8.納期的&金額的につりあわない場合がある
僕の描く絵はモノによって最長で2ヶ月かかるものもあります(※例えばこれ)。それと同じようなものを例えば3週間の納期で仕上げたりというのはとても厳しいです(状況にもよります)。結局僕自身が納得いかない物になりますのでお引き受けできません。これまでの経験上イラストのお仕事で納品まで2ヶ月もらえることはないです。ほとんどの案件が2週間前後です。なのでイラストのイメージで「簡単にできる」「安くできる」と考えている方がいらっしゃると大きくつり合わなくお断りさせていただいているケースが多々あります。もちろんどうしても関わりたい仕事であれば喜んで譲歩いたしますし、絵柄によってはあっという間にできてしまうものもあります。おそらく絵柄が複数あることが問題なのかと思いますが、誤解やご検討時の時間のロスを避けるためにイラストレーターと名乗っていないのです。
9.イラスト=オタクのイメージ
僕が絵を描く仕事としてイラストを意識し始めた2000年初期にはすでにイラストといえば漫画アニメ的もの(ピクシブや萌え絵)でした。
僕の絵は漫画アニメ的な日本カルチャー的文脈で描いているのでそう言ったオタク的消費のされ方(セクシャリティを孕むやり方)と勘違いされやすく、そこと違うんだということを敢えて言わないといけなかった。
最後に
最後に上記でも何度も出てきているかと思いますが、イラストレーターを馬鹿にしたり下に見たりしているわけではございません。実は、とても尊敬している部分もあります。しかも近年多数のクライアントワークをいただき、僕もイラストレーターになれたんじゃないかと無意識で喜んでいる部分もあります。アート活動や自由制作ではなくクライアントワークだけでちゃんと生活が回っていけたらイラストレーターになるのかもしれません。
色々書きましたが上記のことから、現在(2022)どうやってもイラストレーターという肩書は僕にとって都合が悪く、本質的にも意識的にも違います。結果、僕の肩書きはデザイナーでありアーティストになります。
イラストレーターには様々な表現があり、思惑があり、ビジネスのやり方、生き方がある。それは他の人と違いを出さないと価値が生まれないから。なのでどんな思考も尊重すべきだし肯定してあげるべきだと思います。
しかし時代がこれだけ速度を上げて変化しているなかで肩書にこだわる必要はないのかと思います。
追記(2025)
この議論、言葉を大切にしている人たちを傷つけることになる。コンテンポラリーアートにこだわってアーティストと名乗っている人を傷つけていることになる。なんならそんな人たちやその人たちをリスペクトしている関係者から僕自身がバカだと思われる恐れがある。確かにその通りだろう。かつては完璧にそうだっただろう思う。20年以上前の日本では。
しかし今はアーティストという言葉は概念。イラストレーターといえば(現代)絵師。がマジョリティー的イメージだろう。音楽でも伝統工芸でもなんでも何かものを作っていればアーティストだし、デジタルでキャラクター中心の絵を描いていればイラストレーターあるいは絵師を名乗っていい雰囲気だ。(しかし絵師は安易に人気を獲得するためだけにセクシャリティー的表現を辞さないというイメージもあるので、やはりイラストレーターは名乗りたくない)
ではマイノリティを無視するのか?そんなに僕は教養がないのか?
いやそうじゃない。僕の生き方としては不都合なのだと思う。思想や宗教や優先順位が違うのだ。すごく極端な話をすると僕は自動車にできるだけ乗らない。自家用車を所有したこともないし、基本徒歩か自転車か公共交通機関を使う。それは地球を傷つけないように。そう彼らが何も傷つけないように生きているのであれば僕の負けで、彼らの主張を受け入れないといけないという考えを僕は持っている。彼らが動物を食べて、車に乗るのであれば、傲慢なエゴイストだと言える、つまり僕と同じ。大事にしているものが違うだけであり、自分の人生を生きるというゲームの楽しみ方が違うだけで、バカにしたりする行為自体がモラル欠如だと感じるのだ。しかしバカにするという行為自体がその人なりのゲームの楽しみ方なら、認めるし実に面白い。つまり犯罪でなければ、極端に人を傷つけていなければ、僕は何でもいいし、何でも許す。正しさよりも優しさや面白さが勝るからだ。正しさは人それぞれ違うから。と言っていること自体がそうすべきという思想の押し付けなのかもしれない。つまりこれは考えれば考えるほどにループであり、そのときの気持ちとしてはどこに着地するかによる。
つまり肩書き一つとってもその人の思想が見え隠れする。だから僕がアーティストを名乗る理由は「リベラリストでリアリストでゲームセオリーに基づいて生きている」ことを語っているのだと思う。別に安易にそれを名乗っているわけではないとことが少し伝わるとうれしい。
最後にこれまで仕事がなくなるし、同業の友達もいなくなるだろうから伏せてきましたが、もう2025年広告イラストレーションの衰退と、イラストアートの衰退と、AIによるそもそもモノ作り根幹のパラダイムシフトにより、伏せる必要がないので、真実は下記の通りです。
10.僕のアートのコンセプトがイラスト
イラストレーター=デジタルで「キャラクター」中心の絵を描く人。
僕はそのキャラクターを20年間これでもかというほどデザインして公開してきました。この活動はキャラクターイラストに対するアンチテーゼです。僕のアート活動のコンセプトです。
新卒で入ったIPビジネスの会社でどっぷりその真髄を知りました。その漫画を描いた先生でもない人たちいばり腐っている姿。そしてゲーム会社働いているときにはソーシャルゲームのカードイラストのお金儲けの実態。何を描いても前任者の何かに似ていると罵られる世代の不利益、クリエティブの限界。
僕はそれらのエピソードから醜い人間らしさを感じ活動のコンセプトに掲げました。生きている限り無限にキャラクターを生み出していこうというコンセプト。だからイラストレーターにはなれないし。生きるためにイラストの仕事はもちろんやる。ここが誤解を招くところ。なんなら世界中の多くのアーティストがイラストの仕事をやっているはず。つまり僕の活動はコンセプトがある。それに僕のやっているイラストは有名アーティストがやるそれと違わない。ということです。
これでも尚も、僕をイラストレーターと言いたいのであればそれはそれで面白い、その人の生き方、こだわりだろうし尊重します。僕はアーティストなのでそれを受け入れます(笑)