【赤坂①013】赤坂檜町
町番号:赤坂①013
町名:赤坂檜町
読み方:あかさかひのきちょう Akasaka-Hinokichō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1966(昭和41)年9月30日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「赤坂」
現町名:港区赤坂八・九丁目、南青山一丁目
概要:古くは今井村のうち。寛永年間(1624~1644年)以後、萩藩毛利家、松江藩松平家、山家藩谷家の屋敷地となり、幕末まで大きな変化はなかった。萩藩毛利屋敷は1864(元治元)年、幕府と萩藩とが対立したために召し上げとなった。町の北部に麻布今井町年貢町屋(麻布今井町又は赤坂今井町)があった。これは嘗ての今井村の百姓家に由来すると思われ、1654(承応3)年頃にはこの町屋が「今井本村」と呼ばれ、中心的な位置を占めていたようだ。
1869(明治2)年、江戸期からの麻布今井町に長門萩藩毛利氏中屋敷、出雲松江藩松平氏中屋敷、丹波山家藩谷氏中屋敷等の武家地を合併して起立。町名は毛利藩邸に檜が多くあり、「檜屋敷」と俗称されていたことによる。1872(明治5)年の戸数19・人口78(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府赤坂区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市赤坂区に所属。1887(明治20)年頃、西部は空き地や畑だったようで、明治末頃までには大部分が住宅地となり、北東隅には僅かに商店があった。明治30年代の町内には愛敬女学校があった。1908(明治41)年の世帯数335・人口3,172。毛利氏中屋敷跡には第1師団歩兵第1連隊兵営が置かれ、町域の3分の2を占めていた。後に陸軍省用地となり東京鎮台歩兵営が置かれ、その後歩兵第一連隊となった。歩兵第一連隊は第二次世界大戦後、駐留軍に接収され、ハーディバラックスという兵舎となった。1943(昭和18)年7月1日、東京都赤坂区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。1962(昭和37)年、アメリカから敷地が返還され、跡地には2000(平成12)年まで防衛庁が置かれていた。
住居表示の実施により、1966(昭和41)年7月1日に赤坂八・九丁目(一部は南青山に変更)に、次いで10月1日に南青山一丁目(一部は赤坂に変更)に編入となり消滅。
※Wikipediaの南豊島郡のページには1872(明治5)年の起立とある。
撮影場所:赤坂檜町