【赤坂①021】青山六軒町
町番号:赤坂①021
町名:青山六軒町
読み方:あおやまろっけんちょう Aoyama-Rokkenchō
区分:俗称→町丁
起立:江戸期
廃止:1966(昭和41)年9月30日
冠称:「青山」、さらに1947(昭和22)年3月15日から「赤坂」
現町名:港区元赤坂二丁目2番西辺、北青山一丁目
概要:江戸期は俗称地名。当地の北方に「鼠穴」と呼ばれる場所があり、1845(弘化2)年正月、隣接する権田原三軒家町(青山権田原続き三軒長屋武家地)より出火し、芝伊皿子(現在の三田三・四丁目)辺りまで延焼した大火は「鼠穴の火事」(「六道火事」、「青山火事」ともいう)として知られている(画報・港区史)。
青山通りの南にあった同名の「青山六軒町」は1683(天和3)年の起立で全くの別物だが混同される。『角川日本地名大辞典』の青山六軒町の項には、「明治期以後の諸書がこの町を権田原付近にあったとするのは『沿革図書』及び『備考』の精密な検討によって誤りとされる。尾張屋版切絵図『千駄谷鮫ケ橋四谷絵図』の六道の辻東北の道路敷に「此ノヘン六ケン丁と云」とある俗称地名を混同したものか」とある。
1872(明治5)年、近隣の武家地を合併し、正式に起立。町名は江戸期の俗称から採ったようだ。青山通りの南にあった青山六軒町は1869(明治2)年に青山手大工町と合併して青山大和町に編入となり消滅していたから公称町丁同士で併存していた時期は無い。
1878(明治11)年11月2日、東京府赤坂区に所属。1886(明治19)年には青山練兵場が設けられ、大正年中、練兵場は明治神宮外苑となった。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市赤坂区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都赤坂区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。
住居表示の実施により、1966(昭和41)年7月1日に東部が元赤坂二丁目2番の西辺に、10月1日には西部が北青山一丁目に編入となり消滅。
撮影場所:青山六軒町