19%と1%
「4人に1人の犠牲者」――沖縄戦の凄惨さを伝える数字です。
でも、第二次世界大戦がおびただしい数の犠牲者を出したことに変わりありません。「4人に1人」といっても、果たして民間人はどうなのか、そして、日本とはどのような違いがあるのか、少しだけ思いをめぐらせてみたいと思います。
米軍が1945年3月26日に慶良間諸島、4月1日に沖縄本島に上陸して始まった沖縄戦。日本軍は本土侵攻を遅らせるために持久作戦をとり、軍民が入り乱れる戦闘がつづきました。
日米両軍と民間人らを合わせた死者は約20万人。じつに沖縄県民の4人に1人が死亡したとされます。
特に沖縄戦はひめゆり学徒隊で知られるように軍民の区別がつけられないとよく言われますが、日本と比較するためにあえて切り分けるなら、沖縄県民の民間人犠牲者は94,000人。
当時の沖縄県の人口が590,480人、このうち疎開者を除くと50,6480人となります。
これをもとに計算すると、沖縄戦において沖縄県の民間人は19%、つまり、5人に1人が亡くなったことになります。
では、日本はどうでしょう。
当時の日本全国の人口が7,200万人。うち、民間人の死亡者は80万人と言われています。
つまり、日本において民間人の犠牲者は1%。おおざっぱに言って100人に1人が亡くなりました。
この80万人にはもちろん沖縄県民も含まれますので、それをのぞくとさらに割合が低くなります。
19%と1%の違い。
仮に日本全国で19%の民間人が亡くなったとすると、1330万人の尊い命が亡くなったという計算になります。現在の東京都民の全人口に匹敵する数です。
仮に沖縄で1%の民間人が亡くなったとすると、5千人という計算になります。でも実際に亡くなったのは、9万4千人というあまたの数のひとびとでした。
もちろん、命は計算機ではじき出せるような軽々しいものではありません。命に「仮に」も「もしかしても」もないのは当然です。
しかし、ひとりひとりが等しく尊い命だとすると、ここではじき出された数字は、私たち「日本人」が沖縄に対しどれだけ過重な負担を強いたかという歴史的事実をあぶり出します。
敗戦後も沖縄を切り捨て、繁栄と安全を享受した日本。
沖縄の「もうこれ以上沖縄に基地はいらない」という声に、ひとりひとりがどう向き合うのか、私たち「日本人」の責任が問われています。
(里)
(参考資料)
総務省「日本統計年鑑」 http://www.stat.go.jp/data/nenkan/02.htm
沖縄県平和祈念資料館「平和学習」 http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/heiwagakusyu/kyozai/qa/q2.html