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No.628「ストーブの季節到来」「絶対に大丈夫」「誕生日」「冬の森のバス」

2021.12.25 04:48

2021.12.25.No628.628

「 ストーブの季節到来 」

なな.

 ストーブの季節がやってきた。奮発して買ったペレットストーブもすっかり店の一部になった。今年はかなり遅い11月末に初めて火を入れた。12月に入っても暖かい日が多く、午前中に点火しても昼過ぎには店内が暑くなって消すことが多い。化石燃料の値上がりが言われるこの頃では、暖冬は多くの人に歓迎されるだろう。さて、これからが冬本番。どうなるのかな?  

 今年最後の配達となり、1年を振り返ってみた。3月に子等3人が卒業し就職進学をした。社会人となった2人は少しだけ母に優しくなった。春から店の常連になった若い男性が、世の中のビーガンブームをオーガニック七菜へも運んできてくれた。その流れはぶっち君へと続き、オーガニック七菜は新しい刺激をたくさんもらうこととなった。さて、来年はどんな年になるでしょう?世の中がやっと追いついてきたなんて言っていますが、置いてけぼりにならないようにアンテナ立てつつ精進していきましょう。今年もお世話になりました。  皆様の新しい年が笑顔いっぱいの年になりますように 


「 絶対に大丈夫 」        

高 志

 『年を取るたびに1年が早くなるって良く聞きますけど、本当にそうなんですかね?』と20代の若者に聞かれた際に、間髪入れずに『もう50を超えると早いなんてもんじゃないよ!?』と答えていたのだが、確かにある面においてはその通りなのだろう。  

 だが、最近ふと『果たして本当にそうなのだろうか?』と考えさせられることが、たびたび起きている。 時が過ぎるのが早いから、記憶が曖昧になっているのかもしれないが、『あれ、それってまだ半年もたっていなかったのか』とか『えっ、それって去年だったっけ?一昨年じゃなかった?』と思いのほか時が過ぎていないことがあるのだ。  

 以前、このラ・ラビアータにも記憶の曖昧さについて書いたのだが、それ故にラ・ラビアータに書き残すことは、自分にとって大きな意味があるのだと痛感した。  ふと思い立って、過去の原稿を読みなおしてみる。すると、その中にずっと昔のことだと思っていたことが、実は1年も経っていなかったのかと再認識させられることがある。  

 お店の常連さんにしてもそう。もうすっかり顔なじみになったお客さんで、何年も前から来て頂いていると思っていたのが、その実、まだ半年くらいしか経っていないなんてこともある。我ながら、記憶の不確かさに驚くばかりだ。  

 記憶を遡ってみたのには他の理由があったのだが、そうするうちに、あの頃到底埒が空きそうにもない問題だったのが、今では軽々とその問題をクリアしている事にも気が付いた。  

 当時、どうやったらその目標を達成できるのかわからず、問題をクリアしている姿すら想像できないでいたのに、である。  

 そんな矢先、作家・辻村深月の小説に『今がどれだけおかしくても、いつか絶対に平気になる』という一文に触れた。記憶を遡ることなどしていなかったら、通り過ぎていた一文かもしれない。だけど、めぐり会いとはそういうものなのだろう。  

 『絶対に平気になる』、すなわち『絶対に大丈夫』。プロ野球で今年の日本一になったヤクルトのチームスローガンにつながった。言霊とは、偉大なるものだ。  

 そこには、今がどんなに不安であっても、自分を信じて安心して良いんだよということが記されていたように思う。 

 『新しい日常』なる言葉が使われるようになって久しいが、いまだに不安を煽りたてる現状が続いている。言葉の力は、強い。時には、凶器にもなりうる。正義を振りかざして投げかけた言葉であっても、それを受け止めた側が深く傷つくことだってある。

  多様性の重要さが叫ばれる中、同調圧力などという凶器で自分と異なるものを攻撃し、権力者はそれを利用さえもしている。平成を装いつつも、どこか疑心暗鬼になっている社会。 

 『今がおかしくても、いつか絶対に平気になる』色々な局面で、生かされる言葉。窓辺の陽だまりに包まれながら、心穏やかなることを祈るばかりだ。 年内最後のお水採りを終え、水の里に感謝をし、来年もこの水を中心にみんなが笑顔に包まれますようにと祈り、水の里を後にした。滞在中、雪雲に覆われていた空が晴れ始め、明るい陽射しに見送られるこになった。

  今年も大変お世話になりまして、誠にありがとうございました。今年は、例年にも増して新たな出会いがあった思い出深い年になりました。このご縁を大切に、来年もみなさんにとって心穏やかなる1年になりますように。

 良いお年を、お迎えください


 「  誕生日 」           

マ ナ 

 12月18日、今日は息子の誕生日、29才になる。生まれたのは、雪の日だった。 数年前、彼に「もう誕生日のことはいい」と言われて、特別なことはしなくなった。 14年前、父が亡くなったのが12月12日で、中学生の息子の誕生日を忘れていた。

 今日、母に息子が誕生日だと言ったら、皺くちゃの千円札1枚を渡された。 「これで、好きなもん買うたって」  息子がいくつになったのかわかっているのだろうか。 「ありがとう」 今日は雪ではないけど、寒波がくるそうだ。 


「 冬の森のバス 」

  マナさんの原稿が短かったので、何か冬の水の里の写真をと探していたら2008年のラ・ラビアータの表紙にあった。

 高志が毎回お水取りに行くと泊まる「森のバス」が雪に埋もれた写真。(森のバスと言っているが、実際は人里にある)この写真のすぐ右まで、山のお水が湧いているところから長―いパイプでお水を引いている。バスの中は泊まれるように改造してあり、布団を敷いて眠り、自炊ができる調理台もある。でも、雪を乗せたバスは冷蔵庫のよう。暖房をつけて眠りたいところだが、一度不完全燃焼で危ない目に合ってからは暖房を消して眠る。朝目覚めると布団の襟の部分が寝息で凍ってしまいごわごわになる、過酷な環境だ。飲み残しのお茶なども当然茶碗の中で凍ってしまう。

 これから雪解けの時期まで、お水取りは雪との共存となる。