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のらくらり。

fight!

2022.04.04 08:45

居候時代のモリアーティ三兄弟とジャックが腕相撲するお話。

非力なおでこちゃんが兄さん兄様相手に腕相撲で勝とうとするの、かわよい。


「よし、三人で腕相撲でもするとしましょうか」


ロックウェル伯爵家で居候中のモリアーティ三兄弟は、秘密裏に暗殺術を教わっているジャックの声に各々トレーニングに勤しんでいた顔を上げた。

身の振り方や暗器の使い方、人体可動域から急所に至るまでを学んではいるが、何よりも前提にあるのは身体能力の向上だ。

まだ年若い、もしくは幼い三人にとって過度な筋肉トレーニングは禁忌だが、年齢に応じた基礎体力としなやかな筋肉を付けるのは必須である。

ゆえに今日も三人は怪しまれない程度に訓練をこなしていたところ、予想外に子どもの扱いに長けていたジャックにたまの気晴らしとして腕相撲を提案されてしまった。


「腕相撲、ですか?」

「えぇ。貴方達も以前より力が付いたでしょう。実践を想定した訓練も良いが、たまには子どもらしい遊び心も必要です」

「遊び心…なるほど」


アルバートとウィリアムがジャックと話をしている最中、ルイスは静かに三人を見つめていた。

ルイスだけでなく、その兄二人ともに子どもらしさを求められたことなど初めてだ。

いつだって自立した精神を必要とされ、子どもらしさなど見せたところで何も得るものはなかった。

アルバートとウィリアムとルイス、それぞれに環境は違えど大人になるしか道はなかったのだから、こうしたジャックからの子ども扱いにはどこかむず痒い気持ちを覚えてしまう。

だが執事としてその辺りも心得ているらしいジャックは戸惑う三兄弟に構うことなく、訓練場所としている部屋から三人を連れ出してリビングへと向かって行った。

伯爵家の人間とは違う、三兄弟だけが使用する一室にはもてなしの意味を込めた華美な調度品がある。


「兄さん、腕相撲ってどんな遊びですか?」


一番後ろを付いて歩いていたルイスはすぐ前を歩くウィリアムの衣服を引き、小さな声で問いかける。

話の流れから子どもがする遊びというのは分かったが、そもそもどういう遊びなのかがよく分からない。

ルイスは今までに腕相撲をしたことはないし、ウィリアムからも教えられたことはなかった。


「腕相撲はね、お互いに力の強さを競うゲームだよ。向かい合って手を握って、相手の手を倒したら勝ちなんだ」

「力の強さ、ですか」

「先生の言う通り僕達も力が強くなったから、どのくらいか試してみるのも面白いと思うよ」


ふむ。

ルイスはウィリアムの後ろを歩きながら、考え込むように視線を床に向けて黙々と前に進む。

確かにルイスは以前よりもずっと力が強くなった。

病で落ちていた体力がようやく回復してきたことと合わせ、ジャックが兄弟それぞれに適したトレーニングを考えてくれたおかげで、ルイスの筋肉量は年齢相当にまで追いついている。

皮と筋ばかりだった体にしっかりと肉が付いていることに喜んだのは、ルイスではなくウィリアムだった。

ウィリアムが喜んでくれるならルイスも嬉しいし、力が強くなったのならその分だけウィリアムとアルバートを守るというルイスの目標にも近付ける。

実践形式の対術訓練では圧倒的な負け越しを経験しているが、遊びならルイスにも勝つ隙があるかもしれない。

ぐ、と握り拳を作っては開き、ルイスは「負けないぞ」と気合いを入れ直した。


「まず三人とも、私と勝負しましょう。まずはアルバート様から来なさい」

「…分かりました」


リビングに付いて早々、ジャックは備えられていた椅子を真向かいに直して席に着く。

名指しをされたアルバートは強気に眉を上げ、袖を捲り上げては同じようにジャックの向かいに腰を下ろした。

なるほど、遊びではあるがあくまでもジャックによる力の見定めが目的か。

ウィリアムはそう解釈したが、ルイスはその隣で首を傾げて初めて目にする腕相撲とやらを見つめていた。


「兄さん、腕相撲は向き合って手を握るのですか?」

「そうだよ。アルバート兄さんと先生が手を合わせているだろう?あの状態で合図をしたら、それぞれ力を込めて自分の方に腕を倒していくんだ。力比べをして、倒された方が負けだよ」

「そうなんですか」


成人してる上に元兵士であるジャックと、将来有望な成長期真っ只中のアルバート。

体格差は一目瞭然で、ルイスにとっては大きなアルバートの手が今は何だか小さく見えた。

二人と同じように腕を持ち上げ肘を曲げてポーズを取ってみると、腕相撲という遊びがとても理解しやすい。


「アルバート兄様、頑張ってくださいね!」

「応援しています、兄さん」

「ありがとう、二人とも」

「用意は良いですかな、アルバート様」

「えぇ」

「では…」


fight!

ウィリアムの声をきっかけに、アルバートは握った手に力を込めてジャックに勝利するため奮闘する。

力の差など明らかではあるが、応援してくれた弟達の前で無様な姿など見せられない。

アルバートは甘く垂れた瞳を真剣に釣り上げてはもう片手で机を掴み、全力を持ってしてジャックへと立ち向かった。

そんなアルバートの心情を理解しつつ、誰の応援もないジャックは予想していたよりも強い力を感じながらアルバートの能力を瞬時に評価する。

まずまずの完成度だと、そう判断した瞬間に拮抗させていた力を解放してはアルバートの腕を引き倒した。


「くっ…やはり、先生には敵いませんね」

「いやいや、アルバート様もこの短期間で随分と成長なされた。鍛えがいがありますな」

「ありがとうございます」


少しも感謝の表情を滲ませていないアルバートの悔しそうな顔をよそに、ジャックは涼しい顔をして強者の笑みを見せつける。

この悔しさと負けず嫌いな様子があれば十分悲願を成し遂げられるだろう。

そう評価されていることなど知らないまま、アルバートは席を立ってウィリアムへと次を譲るため移動する。


「お疲れ様です、兄様」

「あぁ。みっともないところを見せてしまったね」

「まさか。格好良かったですよ、兄さん」

「兄さんのいう通りです、兄様は格好良かったです!」


弟達の励ましをくすぐったく思いながら、アルバートは気恥ずかしそうに微笑んだ。

元より勝てるとは思っていなかったが、だからと言って簡単に負けるつもりもなかった。

だが結果を見れば力量を試されていただけの圧倒的な敗北であり、悔しがるのも烏滸がましいほどの完敗だ。

アルバートは気を取り直し、ウィリアムの背を押してジャックの元へと送り出した。


「兄さん、頑張ってください!」

「ウィリアム、油断しないようにな」

「分かっています。頑張ってくるよ、ルイス」

「では参りますよ、ウィリアム様」

「えぇ、お願いします」


fight!

今度はアルバートの声でスタートの合図をかけ、ウィリアムとジャックは互いの腕に力を込めていく。

アルバート以上に小さな手を見れば始めから勝敗が分かっているようなものだが、それでもウィリアムの瞳は決して負けまいと鋭く睨みつけている。

知力を活かし策略を巡らせた戦法ならば、ウィリアムはジャックすらをも凌駕する。

けれど単純な力勝負となると、どうしたって子どもが大人に劣ってしまうのは確かなのだ。

それを理解しつつも決して手を抜かない本気の眼差しを受け、ジャックは納得したように頷いてからその小さな手を引き倒す。

ダン、と大きな音を立てて押し付けられた腕を前に、ウィリアムは一瞬だけ歯を食いしばる様子を見せた。


「…さすがですね、先生」

「ウィリアム様も中々。真面目に訓練をこなした結果が身に付いてきておられる」

「ありがとうございます」


ウィリアムが僅かに見せた悔しそうな表情はすぐさま消え去り、普段通り真意を悟らせない笑みを携えている。

それでこそウィリアムだと、ジャックにしてみれば高評価だ。

礼儀正しく頭を下げてからルイスとアルバートの元へ行くウィリアムは、使っていた右腕を上げて軽く左右に振っていた。


「負けちゃった。ごめんね、ルイス。せっかく応援してくれたのに」

「兄さん、格好良かったですよ。お疲れ様です」

「よく健闘したね、ウィリアム」


ひらひらと振るウィリアムの手を取り、お疲れ様でしたと繰り返すルイスの手はウィリアム以上に小さかった。

それなのに日々の訓練や調理の手伝いでまめや傷が出来ていて、子どもらしくないとてもアンバランスな手だ。

ルイスから握られる手には、以前までならば感じなかった力強さがある。


「次はルイスの番だね。無理をしてはいけないよ」

「頑張っておいで、ルイス」

「行ってきます」


小さな手を同じくらいの強さで握り返したウィリアムはルイスを解放し、その背をアルバートがジャックの元へと送り出す。

そうして席に座り、利き手である右腕を差し出したルイスは同じように差し出されたジャックの手を握りしめる。

正直な感想を言えば、スケール感からもう既に敗北しているようなものだった。

ライオンと子猫くらいサイズの違いがある。

ウィリアムとアルバートがそう考えていることなど知らないまま、ルイスは大きな瞳でしっかりとジャックを見据えていた。

勝てないことを知りつつも諦めない姿勢は兄譲りだろうか。

ジャックはか弱く見える腕から感じる力強さを、その大きな手のひらで受け止めている。


「お願いします」

「えぇ。良いですかな?」

「…」


fight!

最後はウィリアムの合図で二人の勝負が始まった。

ルイスは懸命に腕を倒そうともがいているが、ジャックは微動だにしていない。

それが悔しかったのか、ルイスはより一層瞳を鋭く光らせてはもう片手で机を支えに脇を閉め、ジャックの腕を僅かながらに押していく。

呻くような声とともにそれを確認したウィリアムとアルバートはルイスの奮闘を喜び、ジャックは想像以上に身に付いていたルイスの力強さよりもその真っ直ぐな気概を評価した。

小柄であり病弱だったという過去を持つルイスに暗殺術など無駄ではないかと考えていた。

それでも本人が望んでいるからとルイスに合ったメニューを与えていたが、どうやら杞憂だったらしい。

見た目に誤魔化されていただけで十分過ぎるほどの素質がある。

ジャックがそう判断した瞬間、ルイスの腕は一気に引き倒されていた。


「っあ…!…ぅ…」

「驚きましたな。ルイス様がこれほどまでに力強くなられているとは」

「…でも、全然、歯が立ちませんでした」

「は、それは相手が悪い。一戦を退いたとはいえ、私も鍛錬を怠ってはいません。ルイス様はルイス様なりに成長なさっている」

「…ありがとうございます」


アルバートともウィリアムとも違う最も子どもらしい表情を見せたルイスに驚くが、ジャックは気にせず幼い彼を高く評価する。

伊達に執事としてロックウェル家に住まう子息の面倒を見てきていない。

得意ではないが、子どもの扱いくらい心得ているのだ。

ぺこりと頭を下げたルイスの髪を撫で、ジャックは満足したように椅子から立ち上がった。


「御三方、随分と力を付けてこられましたな。私が想定していたよりも早いペースで体が出来上がってきている。この調子で鍛えていけば、成長とともに十分な力を身に付けるでしょう」

「ありがとうございます、先生」


アルバートが弟達の分まで謝意を伝え、その弟であるウィリアムとルイスは両手を握っては開いて自らの成長を実感しようとしている。

それで実感できるものでもないけれど、師であるジャックから評価されたのだからきちんと鍛えられているのだろう。

目標へ一歩一歩着実に近付いていると、そう考えれば嬉しい限りだ。

ルイスは悔しさを滲ませていた先ほどの表情とは打って変わってはにかんだような笑みを浮かべ、ウィリアムを見上げていた。


「僕、強くなりました」

「そうだね、ルイスは強くなっているよ」

「兄さんと兄様は僕よりも強くなっているので、早く僕もお二人に追いつきたいです」

「大丈夫、ルイスならすぐだよ」


弟達の心温まる会話を聞いたアルバートの頬は自然と緩んでいく。

けれど意識してそれを引き締め、ジャックを見据えては次の指示を待った。


「では、御三方でそれぞれ対戦してみましょう。ですがただ腕相撲をするのではつまらない。三人の中で勝率の高い人間は他の二人にひとつだけ命令できる、というのはいかがですかな?」

「へぇ、良いですね。ではそれでいきましょうか」


ここからが本当のお遊びだと言わんばかりに、ありきたりな勝者の特権を提案したジャックにアルバートは賛同する。

アルバートが賛同したのだからウィリアムとルイスも同意したようなものだ。

現にウィリアムからもルイスからも否定の言葉は出てこなかった。

それどころかルイスからは期待に満ちた声が上がっている。


「命令?僕が勝ったら兄さんと兄様に命令できるんですか?」

「ルイス、僕達に何か命令したいことがあるのかい?」

「そういうわけではないですけど」


でもやってみたいことがあるのだと、言葉には出さないがソワソワした様子でルイスが両手を握って胸の前に持ってくる。

滅多にわがままを言わない末っ子の姿に思わず真顔になったウィリアムとアルバートは、語らずとも互いの心を一つにした。


「僕、兄さんにも兄様にも負けませんよ」

「僕も負けるつもりはないよ、ルイス」

「長男の僕が弟に負けるわけにはいかないな」


ぐっと拳を握りしめるルイスとは対照的に、ウィリアムもアルバートも意欲的なことを言いながらもその本心は既に決まっていた。

所詮お遊び、ルイスが兄弟の中で一番非力なのは確かめるまでもない。

だが、非力だから腕相撲が弱いというわけでもないはずだ。

謀略策略はお手の物だと、ウィリアムとアルバートはルイスに勘付かれないよう負ける方法を考えていた。

そんな二人の考えに大方の察しが付いていたジャックは呆れた息を吐きこぼし、どうせ戯れなのだから構わないだろうと言葉を続ける。


「では始めに、アルバート様とウィリアム様、おいでなさい」

「よろしく頼むよ、ウィリアム」

「お手柔らかにお願いします、アルバート兄さん」


それぞれ椅子へと腰を下ろし、利き手を差し出しては握り合う。

単純な力の差から言えばアルバートが有利だろうが、ウィリアムとてルイスに良いところを見せたい気持ちは負けていない。

ここでは謀略も策略もなしでいこうと、二人は真剣な表情で見つめ合った。


「兄さん、兄様、どちらも頑張ってください!二人とも負けないで!」


fight!

無茶なことを言うルイスを他所に、ジャックは開始の合図をした。

そうして強く握り締められた腕は拮抗して震えており、けれども僅かながらアルバートの方にゆっくりと倒れていく。

このままアルバートの勝利かとジャックが思った瞬間、ウィリアムは泥臭くも気合いで持ち直してきた。

倒されていた腕が徐々に持ち上がり、再びその腕が二人の中央にやってきてはその位置で保たれる。

互いの力はほぼ同格、ここまで来るともはや腕力や握力ではなく持久力の問題だろう。

ならばやはりアルバートの方が有利だと、結果をそう予測したジャックと違いルイスはハラハラしながら兄達を見守っていた。


「く、…あっ!」

「…僕の勝ちのようだね、ウィリアム」

「えぇ…さすが兄さん、お強いですね」


見た目にそぐわない怪力を持ってして不利な状況を拮抗させたウィリアムだが、持久力にはまだまだ鍛える余地があるらしい。

勝利したアルバートは想像以上に力強い弟に驚きつつも、きちんと長兄としての矜持を果たしてみせた。

アルバートの勝利は当然だろうが、彼の圧勝かと思いきや健闘したウィリアムも格好良い。

ルイスは染まった頬を隠さずに二人の勝負を讃えていった。


「凄いですお二人とも!とても良い勝負で、見ていてハラハラしてしまいました!兄様、勝利おめでとうございます!兄さん、とっても格好良かったですよ!」


凄い凄いとはしゃぐルイスは勝者にも敗者にも十分な報酬だ。

兄としての面目を保ってみせたアルバートは穏やかに笑みを浮かべており、悔しさを滲ませつつも出来ることはやったと満足げなウィリアムも笑っている。


「さすがウィリアムだ。僕もうかうかしていられないな」

「すぐに勝ってみせますよ、兄さん」

「そうはさせないさ。僕にだって君の兄としてのプライドがある」

「ふふ、ですが僕も負けてばかりではいられません」

「また勝負しようか。ひとまずは…ルイス、おいで」


穏やかながらも先を見据えた言葉を交わすウィリアムとアルバートの腕は、長い時間力を込めていた影響で痺れが残っている。

これは都合が良いと、アルバートはすぐそばにいたルイスの名前を呼ぶ。

そうしてウィリアムが席を立ち、ルイスにそこへ腰を下ろすよう促した。


「ではお次はアルバート様とルイス様の勝負にしましょう。良いですかな?」

「よろしくお願いします、兄様」

「よろしく頼むよ、ルイス」

「僕、負けませんから」

「ふ…それは怖いな」


程よく痺れが残る腕を前に、アルバートは自分よりも一回りは小さいルイスの手を握る。

この小さな手に血生臭いものを乗せるのは心が痛むけれど、乗せる前にこちらで奪ってしまえば良いだけの話だ。

アルバートは真剣な表情で自分を見上げるルイスを見やり、いつかの鋭い視線よりも幾分か柔らかい瞳に癒されていた。


「二人とも、頑張ってください」


fight!

ウィリアムの声をきっかけにジャックが合図を下し、ルイスは先手必勝とばかりにアルバートの腕を引き倒そうと力を込めた。

自分のものより大きくて温かな手がとても優しいことをルイスは知っている。

だがその手に今は勝ってみせるのだと、気合いを込めて握り締めた。

想像していた以上に抵抗が少ないことに驚くけれど、ルイスは油断せず机を支えに彼の腕を引き倒すべく力を込める。


「…ん、ん〜!」

「……」


対するアルバートには、想像以上に強いけれど、想像以上に必死なルイスがとても可愛らしく見えていた。

見た目の割に力強いのはルイスの研鑽の賜物だろう。

万全の状態であれば何なく勝利していただろうが、痺れてしまっている今の腕では丁度良い具合である。

出来れば懸命なルイスをもう少し眺めていたいが、あまり強く握り締めてもこの後の勝負に影響が出てしまう。

もう頃合いだろうとアルバートが僅かに力を緩めた瞬間を見逃さず、ルイスは力を振り絞って大きなその手を引き倒してみせた。


「っあ…勝った、兄様に勝った…!」

「ほう。やるじゃないか、ルイス」

「え、でも、どうして」

「僕はウィリアムと対戦したばかりだからね、腕に力が入り切らなかったんだ」


勝つと息巻いていたくせに実際に勝てるとは思っていなかったのか、ルイスは目を丸くしてアルバートと自分の腕を交互に見る。

そうして理由を言われれば納得の一言で、本調子であればやはり彼には敵わないのだと思い知らされた。


「そうだったんですか…じゃあやっぱり、僕はまだまだ兄様より弱いのですね」

「君はまだ小さいからね。ルイスが僕と同じ歳の頃になれば良い勝負になるだろう」

「……」

「だが、これも勝負だ。勝ちは勝ちだよ。おめでとう、ルイス」

「ルイス、おめでとう」

「…はい。兄様、兄さん」


どこか釈然としない気持ちを覚えながらも、これも勝負だと言われてしまえば受け入れざるを得ない。

事実、アルバートは不利な状況ではあったけれど、ルイスが不正を働いたわけではないのだ。

ちゃんとした勝利だと、ウィリアムもにっこり笑いかけてくれたのだから良しとしよう。


「僕、兄様に腕相撲で勝ちました」

「凄いね、ルイス。僕は負けてしまったから羨ましいよ」

「兄さんが僕の前に勝負してくれたおかげです。兄様は強かったです」

「そうだね、さすがアルバート兄さんだ」


ルイスは勝利した右手を握りしめ、左手で包み込むように手を動かす。

理由はどうあれ、アルバートに勝ったのだという事実はやはり嬉しいのだ。

両手を口元に近付けて表情を緩めるルイスには、勝負の際に見せていた鋭い視線は一切残っていなかった。


「では、最後はウィリアムとルイスの番だね」

「負けませんよ、兄さん」

「僕も負けるつもりはないよ、ルイス」

「お二人とも、席にお着きください」


体格のよく似た兄弟が、向かい合わせに座り手を繋いでいる。

それだけならば見ていて微笑ましい限りだというのに、そのうち一人の表情は真剣そのものだ。

ルイスは口を引き結んで真っ直ぐウィリアムを見つめ、気を鎮めるために大きく息を吐いた。


「準備は宜しいですかな?では…」


fight!

ジャックの声を合図に、ウィリアムとルイスの勝負が始まった。

純粋な力の差で言えば間違いなくウィリアムが勝利するだろうが、ルイスとてそう簡単に負けるつもりはない。

いつもウィリアムに守られてばかりの自分ではいられないし、そのための訓練も頑張っている。

体格差はさほどないのだから、対術訓練ではない腕相撲というゲームならば勝てる可能性は十分にあるはずだ。


「くっ…う、うぅ〜…!」

「…っ、強くなったね、ルイスっ…!」


必死に腕に力を込めるルイスに釣られたのか、適当に手を抜こうとしていたウィリアムも余力を残した上で受け止めた。

ウィリアムの記憶の中にはもっと弱々しいルイスばかりがいるというのに、こうして向き合うと弱々しさとは無縁のように思う。

訓練中の身のこなしや元々の素質は十分に理解していたつもりだったけれど、それでも非力な印象が強かった子だというのに、今ではこんなにも素晴らしい力強さを見せてくれている。

それだけで十分過ぎるほどに嬉しいと、勝負の最中だというのにウィリアムはしんみりした気持ちを抱いてしまった。

そんな思いが気の緩みとして現れてしまった瞬間を目敏いルイスが見逃すはずもなく、左右どちらにも倒されていなかった腕を自らの方へと引き寄せていく。

負けそうだと、咄嗟に判断したウィリアムは反射的に力を込めようとしたが、元々の予定を思い出してはそのまま腕の力を抜いてしまった。

タン、と軽い音を立ててウィリアムの腕が机に引き倒される。


「…か、勝った…!」

「……凄いね、ルイス。油断していたよ」


ウィリアムと手を繋いだまま、ルイスは勝負後で赤らんだ頬のまま真正面のウィリアムを見る。

そうして次には自らが倒したウィリアムの手を見つめ、興奮したようにもう一度ウィリアムの顔を見ては信じられないとばかりに声を出す。


「僕、兄さんに腕相撲で勝ちました…!」

「おめでとう、ルイス」

「兄さんもまだ兄様との勝負で腕が痺れていたんですか?油断って、そういうことですよね?」

「そうだね、確かにまだ腕は痺れていたけど…ルイスの力が強くなっていることも間違いないよ。強くなったんだね、ルイス。嬉しいよ」

「わぁ…!」


ウィリアムから手を離したルイスは嬉しさを抑えきれないようで、椅子から立ち上がってはうずうずしたように肩を震わせている。

予想外ではあるが想定内の結果にジャックは静かに瞳を伏せ、アルバートは全身で歓喜を表す弟と負けて尚も満足げな弟をしかとその目に焼き付けた。

てっきりウィリアムがあからさまに手を抜くのだと思ったけれど、抜く必要もないくらいにルイスの体は鍛えられていたようだ。

守られているばかりの子どもではないとルイス自身が証明しているようで頼もしい限りである。


「先生!僕、腕相撲で兄さんにも兄様にも勝ちました!」

「そうですな。この勝負、ルイス様が優勝です」

「では、僕がお二人に命令できるんですよね?」

「えぇその通り。男に二言はありませんな?アルバート様、ウィリアム様」


興奮したままジャックへと勝利のアピールをしたルイスは、腕相撲優勝者の権利について確認する。

期待に満ちたルイスを裏切らないためジャックは挑発するようにその兄達を見やるが、元よりルイスの希望を叶えるつもりの二人には要らない質問だったらしい。

むしろ嬉しそうな表情を浮かべていたウィリアムとアルバートは、ルイスに向けて大きく頷くことで肯定した。


「では、お二人ともこちらの椅子に座ってください。隣同士で、ここです、ここ」


ウィリアムとアルバートの様子を見て張り切ったルイスは、椅子が隣り合わせになるよう二つを横に並べていく。

座らせて何がしたいのだろうかと疑問に思う。

けれど口には出さず、二人は促されるままゆっくりと椅子に腰かけた。


「何でも良いんですよね?」

「そうだね。何でも命令して良いんだよ」

「ルイスは僕達に何を命令したいんだい?」

「では、僕のやることを怒らないでください」

「…?」

「…随分変わった命令だね」


右にウィリアム、左にアルバートが座った椅子の前、ルイスはその間に立っている。

いつもは見下ろされている兄を見下ろすのは新鮮な気持ちだ。

最後に見たのはいつだろうかと、むしろ初めて見たかもしれない二人のつむじは何だかとても可愛らしく見える。

ほう、とため息を吐くようにルイスは柔らかな声をこぼしていた。

一方見下ろされているウィリアムとアルバートは新鮮な気持ちで見下ろされながら、「怒らないでくださいね」と念を押す弟を見上げている。

勝負の名残りで未だ染まっているルイスの頬は、もしかすると別の意味で染まっているのかもしれない。

そう考えたウィリアムの髪に、ルイスの手が戸惑いながらも触れてきた。


「…兄さん、いつもありがとうございます」

「…ルイス?」

「兄様も、ありがとうございます」

「これは一体…」


先ほど戦いに勝利したルイスの右腕がウィリアムの髪を撫で、続けてアルバートの髪を撫でる。

控えめに髪を左右に撫でただけのそれは、二人にとってあまりにも慣れない感触だ。

けれど決して嫌な気持ちにはならないし、相手が可愛い弟なのだと思えばむしろ気分が良かった。


「髪に触りたかったのかい?」

「違います。頭を撫でたかったんです。僕の背ではお二人の頭に手が届かないので」

「…どうして頭を撫でたかったんだい?」

「お二人はいつも僕のことを撫でてくれるでしょう?だからお返ししたかったんです」


僕は兄さんと兄様に撫でてもらえて嬉しいから、お二人も同じように感じてほしかったんです。


そう言ったルイスはウィリアムの頭を抱き寄せ、ぽんぽんと髪を撫でて嬉しそうに笑みを浮かべている。

綺麗な金髪をぎゅうと抱きしめてから、同じようにアルバートの頭も抱きしめてから緩く撫でていく。

サラサラの髪とふわふわの髪は、どちらもルイスのものとは髪質が違っている。

自分のものとは違うけれどとてもすきだなと、ルイスはアルバートのつむじを見下ろしていた。


「…あまり頭を撫でられたことはないから不思議な気持ちだね」

「い、嫌でしたか!?で、でも、僕ちゃんと腕相撲に勝ったから…」

「あぁすまない、嫌ではないよ。こうして撫でられるのは気持ちが良い」


慌てて離れようとするルイスを引き止めるように背中を抱いてその顔を見上げれば、ほっとしたように表情を緩める幼い弟がいた。

母にも父にも頭を撫でられたことなどないけれど、ルイスの手付きはとても優しくて素直に気持ちが良いと思う。

アルバートがルイスを撫でるのはウィリアムの真似で、特に理由があるわけではなかった。

兄とはそういうものなのだと思い込み、手持ち無沙汰なのを良いことに何となくルイスのふんわりした髪に手が伸びてしまっただけだ。

だがそれをルイスは嬉しく思っていたようで、こうしてアルバートにも返したいと思うほど気に入ってくれていた事実には驚いてしまう。

初めての経験をルイスに与えられたこと、アルバートはこの先ずっと忘れないだろう。


「兄さんも、僕が撫でても嫌じゃありませんか?」

「嫌どころか嬉しいくらいだよ。ありがとう、ルイス」


アルバートの頭を抱き込んだまま、ルイスは隣にいるウィリアムを見た。

いつも通りに優しく笑っている彼に安心したのか、恐る恐るといったようにルイスはその細い金髪へと手を伸ばす。

さらりと指を流れていく感触が心地良くて、愛おしさが増していくようだった。


「…僕、兄さんと兄様に撫でてもらうの、すきなんです。二人の弟なんだって実感できて嬉しい」


ふわりふわりと撫でられる感覚はくすぐったくて、それでいて全身にその温もりが広がっていくような気がする。

ウィリアムは今まで習慣のようにルイスの頭を撫でてきた。

偉いね、良い子だね、頑張ったね、ありがとう、ごめんね、だいすきだよ。

色々な感情を込めて小さな頭に触れていたけれど、それは確かに一方的だったかもしれない。

与えられるばかりでは嫌だとルイスが思うのも無理はないだろう。

それを返したくて機会を窺っていたところの腕相撲勝負、ルイスにとっては都合が良かったに違いない。

理由がなければいつまで経っても言い出せなかったのかと思えば、ますますルイスのことが愛おしくなってくる。

以前よりも力強くなっているのに変わらず不器用な甘え方しか知らない弟のことを、ウィリアムはこの先も永遠に守りたいと思うのだ。


「腕相撲、勝てて良かった」


幼く笑いながらウィリアムとアルバートの頭を撫でるルイスはとても満足そうだった。

強くなったこともゲームに勝てたこともやってみたかったことを実施できたことも含め、ルイスにとって今日という日は良い一日になったのだろう。

こんな日々をたくさん積み重ねていきたいなと、ルイスは強く強く願っている。

それを叶えるべくウィリアムとアルバートは気を配り、ルイスも目標に向かって邁進するのだった。




(モランさん、僕は兄さんと兄様に腕相撲で勝ったことがあるんですよ)

(はぁ?何かの間違いだろ)

(間違いではありません。ちゃんと正々堂々とした勝負の結果です。だから僕を非力扱いするのは止めてください)

(でもなぁお前、そんなちんまりしてるくせして信じられるわけねぇだろ)

(ちんまり言わないでください!僕はちゃんと、兄さんと兄様に腕相撲で勝ちました!)

(ほー。今は?)

(え?)

(今は勝てるのか?)

(今は…やってないので分かりませんけど、でも良い勝負をする自信はあります)

(なるほどなるほど。んじゃ、俺とやるか?お坊ちゃんよ)

(…良いですよ、僕が勝ったら何でも言うことを聞いてくださいね)

(あぁ良いぜ)


(モラン、あまりルイスをいじめないでくれるかな)

(ルイス、大佐のような筋肉の塊に勝てるのはゴリラくらいしかいないから無理をしてはいけないよ。ルイスはゴリラじゃないだろう?)

(…うぅ…ゴリラには勝てませんでした)

(おいアルバートにルイス、誰がゴリラだ誰が)