ウィーン体制29-ヴィクトリア女王即位
2022.04.04 11:55
1837年6月20日、英国繁栄の象徴となるヴィクトリア女王が即位した。しかし出生時には継承順位は5位、ほとんど可能性はなく、疎まれて育ったが、母はしっかりとした教育をしたとのことである。この頃のハノーファー家は、ジョージ3世の子息が庶子をこさえ、放蕩しているので人気は落ちていた。
即位時の女王は18歳の未婚処女王であり、ひさびさに国民は期待した。最初の枢密院会議では、ウェリントン侯爵は「「彼女はその肉体で自らの椅子を満たし、その精神で部屋全体を満たしていた」という堂々たる態度や優雅な物腰を示したという。ドイツのハノーファーは女性君主を認めず、ドイツと同君連合は解消された。
しかし、1836年恐慌から再び普通選挙を求めるチャーティスト運動が活発化していた。女王の戴冠式が行われた38年には、普通選挙の要領を定めた「人民憲章」が採択され、国民誓願という普通選挙を求める署名が集められた。
この国民誓願は、庶民院で否決され、首相メルバーン子爵は、チャーティスト達を逮捕した。女王はメルバーン子爵を気に入って、二人は毎日6時間も会っていたという。しかし39年5月にメルバーン子爵は求心力が弱まって首相を辞任、女王は泣き崩れたという。