【四谷①009】四谷荒木町
町番号:四谷①009
町名:四谷荒木町
読み方:よつやあらきちょう Yotsuya-Arakichō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:存続
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「四谷」
現町名:新宿区荒木町
概要:1872(明治5)年、美濃高須藩松平氏上屋敷とその近隣の御先手同心大縄地を合併して起立。町名は東端を走る荒木坂(新木坂、津の守坂)・荒木横町に因む。同年の戸数95・人口394(府志料)。
そもそも「荒木」とは、荒木志摩守政羽(浅野内匠頭の赤穂城を受け取りに行った人)の屋敷があったことによる。坂は急で雁木(段々)の坂だったが今は削土されて緩やかになった。またこの辺りは植木屋が多く「新木」から来たともいう。
荒木屋敷は1683(天和3)年から松平摂津守義行が拝領したので俗に「津の守」といわれた。「域内東方は窪然たる凹地にして、其の西崖に懸瀑あり。之を津守の瀑といい、瀑泉の注ぐ処即ち池なりしが、今や懸瀑は撤去せられ、其の跡に石垣を築き居れり。(中略)明治8・9年の頃は、池の周囲は遍く茶店にて、桜花満開の候涼月清風の際は、絃歌沸くが如くなり」(画報)。なお、この池は徳川家康(義行という説もある)が乗馬用の策を洗ったことから「策の池(むちのいけ)」と呼ばれた。
1878(明治11)年11月2日、東京府四谷区に所属。明治期には旧美濃高須松平家上屋敷内の池や庭園が一般に開放され、当町一帯は「お江戸の箱根」と呼ばれ、東京近郊でも名の知られた景勝地となった。料理屋が軒を連ね、芸者等が行き交う風情ある花街として名を馳せた。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市四谷区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都四谷区に所属。その際、一部を片町から編入。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。
町域内には今でも車力門通り(車力門横町)や杉大門通りの通り沿いや路地裏等に各種飲食店が散見され、嘗ての花街の風情を残した部分を見ることができる。また「策の池」も規模はかなり縮小したが、現在でも津の守弁財天に残っている。昭和30年代の雰囲気を色濃く残した町として訪れる人が多い。
撮影場所:四谷荒木町