ハイパワーマーケティングPart2
こんにちは
新作のせいで店内バナナくせぇスタバからいつも通りお送りしてます、書道画家えんしょーです。
前回から日付が少し経ってしまったのでパワーマーケティングのお話やめますw
I’m Mr.前言撤回、読み終えて共有してもしょうもないなって思ったんで別の鼻⭐︎塩⭐︎塩⭐︎
さて。
今日は最近TikTok配信でえんしょーさんは不特定多数の人に分け隔てなく聞き上手だよねって言われ、
改めて自分の脳内を分析した結果を報告しようかな。
題して、【書道画家えんしょーの脳内会話術】
これをテーマに愚痴にも似たような我輩の思ってることをつらつらと綴っていこうと思います。
まず、みんな他人の話を聞くときって本音で話す人とか建前で話す人とか分けて考えると思うんだけど、この脳内で思ってる「本音」とかって存在そのものが近代20世紀後半の僕らが持ってしまった持病みたいなもんだなって思うんだよね。
ネットだと本音が書けるとか親友、パートナーになら本音で話せるとかその本音ってわざと過剰に過激なことを言ったことを現代の人は本音って呼んでるだけなんだ。
例えば、ネットのアンチやリアル男女の別れでも「別にお前なんか好きじゃないわ」なんてよく聞くけど、それってその人のことが本当は好きでそう思ってる自分のことがほんのちょっと情けなかったり許せなかったりするだけでしょ。少なからずその人と対面で会ったり喋ったりするってことはいくばくか好きな感情が無いとそうならないよね。
過剰なことを言ってる自分に酔ってるだけで、本当に思ってたら関わることを避けるしそこに会話は無いと思うんだよね。
とまぁ、こんな感じで「本音」なんて考えたら無限に複雑になってそれこそゲシュタルト崩壊する訳なんだけど、
要するに多層な、多様な自分、脳内の色んな自分…言葉にすると理性とか自我っていうのは、
頭の中に学級委員会みたいなのがあってみんなの意見をまとめていかにも本音っぽいこととか、相手にとって本音っぽく聞こえることを取捨選択をした中で思い切って発することの自分の勇気とか勢いみたいなことを僕らは本音って呼んでるだけで、実はそれってそんな大事なもんじゃないじゃないのかな。と思う。
その瞬間ただ思ってることを言うっていうのは本音とは違うんだ、それはあらゆる方向で色んなこと言ってるだけなんだ。
例えば、今思ってること「喉が渇いた」「椅子が硬くてケツがいてぇ」「オナラでそう」「今日クダしてるから身も出ちゃうかも」とかいちいち言わないじゃん。
私思ったことすぐ言っちゃうから本音で話してるし、表裏ないんだよねって言うのは嘘なんだよね。
んでさっき言った本音って近代、現代人の病気なんじゃないかって思ってるのは、人間って自分が生きてるその時代の価値観とか倫理で物事を言うって言うことが楽なんだよね。
例えば、今僕らは民主主義っていうのを知っているし、個人の自由っていうのをすごく大事に思っている。
でも、ある時代に行くとそんなこと大事でもなんでもないんだ。江戸時代に行ったらそんなことは大事じゃなくて、みんないかにお家って言うものを守るために凄いプライドと誇りとやりがいを感じていた。侍たちなんかは現代で言う本音なんて持っていること自体が恥ずかしいことなんだよな。
建前と本音があると言うことは自分の中に二面性があるってことじゃん。それを僕らは当たり前であるって考えるけど、それは100年前の日本男児からしてみたら、なんで?もしお前に建前があるんだったら本音なんて死んでも言うなよと。情けない、格好悪い。
どんなに惚れた女の前でも、どんなに酒を飲んでても、もし本音なんか言うんだったら腹を切れ。逆にそんなに言いたいことがあるならそれを建前にしろよ、それが男だろっていう考え方なんだよね。
何が言いたいかというと、僕の頭の中では本音と建前をくっつけよう運動をして喋っているんだよね。
それをやるにはどんなことが必要かというと「話せるようなことしか考えない」って言うことが大事なんだ。
僕は過去の経験から人前でスピーチしたり、配信や海外旅行で外国人とある程度のコミュニケーションが取れたりするんだが、このとき、脳内では日本語を一度リセットして喋っていることが多い。
想像では言葉巧みに格好良く喋る自分をイメージするが、それを9割消して脳内を自分のボキャブラリーの中だけにしたりしているんだ。
英語を使う時も脳内の翻訳機を削除して英語だけの脳にしてるから、これが言いたいのに言えないっていうジレンマすら無くして喋れるんだ。
知ってる英単語だけで考えてわからない単語を聞かれたらバカみたいにそのまま繰り返して、意味を教えてもらったらそれを翻訳せずにそのまま頭の中に入れるってのを何日もやってると、なんとか意思疎通ができてしまうのだ。これは英会話を覚えたい人にとってもポイントだと思う。
つまりは本音と建前もこれだと思うんだよね。
建前(想像での自分)を話していると言うふうに考えて、本音こうなんだよなって思っている限りこの病気から解放されないんだ。
話しているんだったらこれは自分の本音なんだ、建前なんかじゃないんだって自分自身を信じる。喋っていることを本気100%にすると、
英語のみで喋るように頭の中で生まれてくるものを本音のみにしちゃって、不得意な言語を喋るように一生懸命考えて喋る。。。
こうやって本音しか喋らないようにすると最初はめちゃくちゃ喋りにくいよ。それこそ僕は失語症の如く喋ることすらままならない、伝えたいことが上手くできない期間が1〜2年間は20代の時あったくらいだ。
どういうふうに言えばいいのだろうってなるんだけど、そこを建前として言って本音は隠しておくより自分の持ちうる表現力でカバーしながら全部本音で
喋った方が絶対楽だと思うって考えるようになってから、自然と緊張するような場面でも喋れるようになった。
結局シンプルな脳内が1番ベストだと思って喋るからこそ、表裏なく相手にとっても不愉快さもなく喋っていられるんだよね。
これを聞き上手を捉える人が多いんではなかろうかと思った。
ロスが多いくらいだったらアイデンティティすらも縮めてもいいと思う。少なからず大人になった人間のアイデンティティはゼロではないはずだから。
ちょっと話が難しくなりすぎたな、全部バナナのせいだ。
要するに表も裏も、正直も嘘も全部本音だと思って喋るからだんだん関わる人が豊かになってきたんだなって思う今日この頃なのでした。
みんなも今一度シンプルな脳内で楽をしてみてはいかがだろうか。
2022年4月13日am11時26分
某スタバにて…Enshoかく